背番号3
【写真:Getty Images】
フランスW杯:相馬直樹(鹿島アントラーズ)
生年月日:1971年7月19日(26歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
日韓W杯:松田直樹(横浜F・マリノス)
生年月日:1977年3月14日(25歳)
個人成績:4試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16
ドイツW杯:駒野友一(サンフレッチェ広島)
生年月日:1981年7月25日(24歳)
個人成績:1試合0得点1アシスト
戦績:グループステージ敗退
南アフリカW杯:駒野友一(ジュビロ磐田)
生年月日:1981年7月25日(28歳)
個人成績:4試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16
ブラジルW杯:酒井高徳(シュトゥットガルト)
生年月日:1991年3月14日(24歳)
個人成績:出場なし
戦績:グループステージ敗退
ロシアW杯:昌子源(鹿島アントラーズ)
生年月日:1992年12月11日(25歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16
相馬直樹は、早稲田大学卒業後の1994年に加入した鹿島アントラーズでプロデビュー。翌年6月に日本代表デビューを飾るとそのまま定着し、背番号3を着用して日本初のワールドカップ出場権獲得に貢献した。フランスW杯はグループリーグ全敗で敗退となったが、第3節のジャマイカ代表戦で決めた日本唯一の得点は、相馬の右足から生まれた。
相馬は同大会後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下でも背番号3を付けたが、1999年に参加したコパ・アメリカ1999後は日本代表から遠ざかることに。その後は、2000年に初招集された松田直樹が継承することとなった。松田はトルシエ監督が用いた3バック戦術、フラット3の一角で不動の地位を確立。日韓W杯ではグループリーグ全試合に出場し、日本の初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。
しかし、日韓W杯後に発足したジーコジャパンではなかなか招集されず。2004年7月に約1年8ヵ月ぶりに日本代表復帰しアジアカップ2004でも選出されたが、同大会を通してピッチに立ったのはヨルダン代表戦の5分間のみ。これ以降再び代表から離れることとなり、2006年のドイツ大会では駒野友一が背番号3を受け継いだ。
ドイツW杯後も駒野はコンスタントに日本代表でプレーしたが、2008年にイビチャ・オシムから岡田武史に監督が代わると、内田篤人が台頭。一時はスタメンの座を奪われたが、南アフリカW杯直前に岡田監督が戦術を変更すると再びスタメンに返り咲き、本大会では全4試合に出場している。ラウンド16のパラグアイ代表戦でクロスバーを叩いたPKは、今でも多くの人の記憶に残っているだろう。
その後、アルベルト・ザッケローニ監督の下では酒井高徳が背番号3を継承した。同選手は2012年8月に行われたベネズエラ代表戦から日本代表に定着したが、ブラジルW杯では内田篤人の控えとなり出番は回って来ず。同大会後は2016年に鹿島のJリーグ優勝、さらに日本勢初となるFIFAクラブワールドカップ決勝進出に貢献した昌子源が受け継ぎ、ロシアW杯3試合にフル出場している。