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アルゼンチンの「ガラスの天才」5人。栄光と苦悩…世界最高級の才能も怪我に泣いた男たち

シリーズ:ガラスの天才5人 text by 編集部 photo by Getty Images

サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は世界最高級の才能がありながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んできた”ガラスの天才”5人を紹介する。


フェルナンド・レドンド

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【写真:Getty Images】

MF:フェルナンド・レドンド
生年月日:1969年6月6日
アルゼンチン代表:29試合1得点1アシスト


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 その端正なルックスと優雅なプレースタイルからエル・プリンシペ(王子様)と呼ばれていたフェルナンド・レドンド。母国のアルヘンティノスを経て90年に加入したテネリフェでは、ホルヘ・バルダーナ監督の下で主力選手に定着した。1991/92シーズンにはクラブの2部降格を阻止し、翌1992/93シーズンはクラブ史上最高位の5位でフィニシュすることに成功。1993/94シーズンはクラブ史上初めてUEFAカップに出場した。

 テネリフェでの躍進が評価され、94年夏に恩師バルダーノと共にレアル・マドリードへと移籍すると、在籍した6シーズンでラ・リーガ制覇とUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝をそれぞれ2度経験。特に主将としてチームを牽引してCL優勝に導いた1999/00シーズンの活躍は見事で、準決勝マンチェスター・ユナイテッド戦で魅せたヒールキックからラウール・ゴンサレスのゴールをアシストしたプレーは、大会史に残る有名なプレーで知られる。
 これらの活躍からクラブ史上初のCL最優秀選手賞に輝いたレドンドだが、00年夏にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任するとビッグネームに押し出される形となり、ACミランへと移籍。しかし、移籍直後に右膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負うと合併症にも苦しみ、約2年間もピッチに立つことができなかった。長いリハビリの末に2002/03シーズン途中に戦列に復帰したが、全盛期のプレーを再びみせることができず、2003/04シーズン終了後に34歳の若さで現役を引退した。

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