自信の失敗経験と意識の変化
昨年の東京オリンピックのメダル獲得数や、歴史的にみても、日本のスポーツが世界のトップを争っているのはサッカーの属する「団体闘争」〝以外〟であることからも、この主張は非常に有力であると考える。
その後本書は、この主張の根拠やそれによるピッチ内外の弊害を解き明かしながら進んでいく。私がプレイヤーとして衝撃を受けたのは、「あらゆるスポーツを「みんな同じスポーツ」だと無意識に捉え、全てのスポーツにおいて同じ(それも定義の曖昧な)「精神力」や「集中力」を求めてはいないだろうか。」(p138)という点である。
つまり「競争」と「闘争」では集中すべき対象が異なっているにも関わらず、「競争的態度」で「団体闘争」をプレーしており、「闘っていない」ということだ。
筆者は「競争」では「技術」に、「闘争」では「影響」に集中すべきだという。「競争」では相手プレイヤーの妨害がないため、自らの技術を最大限発揮することができる。一方で「闘争」では相手プレイヤーの妨害が入る上に、自らも相手プレイヤーの妨害をできることから、技術を発揮する権利がないのだ。
その適切な精神状態を「競争」では「内的集中」、「闘争」では「外的集中」と定義している。本書でも触れられているが、私自身のこれまでの振る舞いを振り返った時に、自ら「内的集中」に入り込む傾向があることに気づいた。そしてそれが故に、実際の状況に適応できず何度も失敗をした苦い経験がある。
これまでに取り組んできた練習、イメージアップのために見ていたプレー集など、それらに集中するがあまり、ピッチの中で起こっている「影響」に気付けていなかったのだ。
それからは試合に対する姿勢を見直した。相手のスカウティングでの情報を元に、いかにピッチで多くの情報を収集し最適なプレーを選択するか、を意識しプレーに取り組んだ。