「俺、終わっちゃうんだ」絶望の淵に立たされた時とは?
「アーセン・ベンゲル監督から『お前をここで育てたい』と言われて、『お願いします』と即答していましたね。しかも『ホームグロウン枠』のことを考えてくれた。21歳まで英国にいれば、ずっと英国人扱いでプレーできるようになる。フェイエノールトの後、ボルトン、ウィガンという自国の2クラブに行ったのも、それを視野に入れてのことでした」
宮市はかつてのインタビューで、欧州挑戦序盤とベンゲル監督から寄せられた期待のことをこう振り返っていた。
イングランド特有の当たりの厳しさ、不慣れな異国の環境、英語のコミュニケーションの難しさなどの壁にぶつかりながらも、着実に基盤を築きつつあった宮市。ところが、ウィカン以降はケガを繰り返すようになってしまう。12/13シーズンは右足首負傷、右ひざじん帯損傷に悩まされ、アーセナルに復帰した13/14シーズンは肉離れで長くチームを離れた。
2015年夏にアーセナルとの契約が切れ、完全移籍でドイツ・ブンデスリーガ2部のザンクトパウリに移籍してからも、ケガの連鎖は止まらなかった。移籍直後に左ひざ前十字じん帯断裂の重症を負うと、2017年夏には右ヒザ前十字じん帯を痛めて長期離脱。そして2018年4月には3度目のヒザの大ケガに見舞われたのだ。
「この時は、ドクターに『同じヒザの箇所で3回目だから手術しよう』と言われて、『ああ、俺、終わっちゃうんだ』と思いました。ちょうどクラブとの契約も切れるタイミングで引退も考えました」と絶望の淵に追い込まれたことも明かしていた。