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ファーガソンに誘われた? 敏腕コーチはなぜリバプールに…。ラインダースがクロップの右腕となった経緯【名参謀の流儀・独占インタビュー前編】

text by アルトゥル・レナール photo by Getty Images

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プレミアリーグ優勝をあと一歩でのがしたものの、今季のリバプールは国内カップ戦2冠(FAカップ、リーグカップ)を達成し、UEFAチャンピオンズリーグでは過去5シーズンで3度目となる決勝進出を果たしている。「参謀がサッカーチームを決める」と題した『フットボール批評issue36』(6月6日発売)では、名将ユルゲン・クロップの右腕として高く評価されるペピン・ラインダース(リバプールアシスタントコーチ)に独占インタビュー。今回はそのインタビューを一部抜粋し、3回に分けて公開する。(取材・文:アルトゥル・レナール、翻訳:山中忍)


マンチェスター・ユナイテッドからのオファー

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【写真:Getty Images】

 リバプールは、2015年10月から指揮を執るユルゲン・クロップの下で、国内外の優勝争い常連へと復活を遂げた。チーム戦術の根底にあるカウンタープレッシングは、「芸術」と表現される域にまで完成度を高めている。クロップの代名詞とも言うべきスタイルだが、その浸透と精緻化に腕を振るう人物が共同助監督のペピン・ラインダース。「インテンシティがチームのアイデンティティだ」と言うオランダ人コーチは、クロップの片腕として計6年を過ごしてきた。

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――まず、2014年にリバプールで仕事を始めることになった経緯を簡単に説明してほしい。

「きっかけは、ポルトのアカデミーで指導を担当していた当時。2007年からの職場で、そろそろ次のステップを考えるようになっていたところに、マンチェスター・ユナイテッドから誘いがあったんだ。監督だったアレックス・ファーガソンと、彼のアシスタントでオランダ人のレネ・ミューレンスティーン(現オーストラリア代表助監督)が来てほしいと言ってくれていて、とても魅力的な話に思えた。けど、それから2、3カ月してファーガソンの監督引退が決まって、僕のマンチェスター行きも流れてしまった。

 その翌年、次に声をかけてくれたプレミアリーグのクラブがリバプールだった。U-16チームのコーチ就任要請で、今回はすぐに話も決まってイングランドに移ることになった。実際に仕事を始めてしばらくすると、トップチームの監督をしていたブレンダン・ロジャーズ(現レスター・シティ監督)とも話をするようになってね。[3-4-3]システムでのプレーを、どうやってユース選手たちに教えているのかに興味を持ってくれていたんだ。気も合ったし、リバプールでの2年目にはアシスタントに加わってほしいとも言ってくれた。結果的には、そのシーズン途中で監督が代わることになるのだけど、短い期間でもブレンダンから学ぶことは多かった。そこで、後任監督としてやって来たのがユルゲン。僕は、アシスタント的な立場(当初は1軍デヴェロップメントコーチ)でスタッフに残ることになった。以来、非常に固い絆で結ばれている関係を築くことができている」

『フットボール批評issue36』

<書籍概要>

定価:1650円(本体1500円+税)

特集:参謀がサッカーチームを決める

「未来予想図」を作れない軍師はいらない

「参謀」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは“残念ながら”牧野茂だ。プロ野球・読売ジャイアンツの川上哲治監督を戦術面で支え、前人未到のV9を成し遂げたのはあまりにも有名である。組織野球の技術書『ドジャースの戦法』をそれこそ穴の開くほど読み込み、当時の日本では革新的な組織戦術でセ・パ両リーグの他球団を攪乱していった。しつこいようではあるが、サッカーチームの参謀ではない、残念ながら。

言い換えれば、すなわち日本のサッカー界で誰もがピンと来る参謀はいまだにいない、ということだ。世界に目を向けると、クロップにはラインダース、ペップにはリージョ、アンチェロッティには息子ダヴィデと、参謀の顔が瞭然と見える。今や参謀がチームの行く末を決定づけているなかで、日本ではそもそも参謀の役割すら語られることがない。日本から名参謀を生むためには、参謀の仕事をまずは理解することから始めなければならない。

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【了】

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