日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号9を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで9番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
フランスW杯
ジャマイカ戦の先発メンバー
監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退
背番号9:中山雅史(ジュビロ磐田)
生年月日:1967年9月23日(30歳)
個人成績:3試合出場/1得点0アシスト
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中山雅史は1993年にワールドカップ出場権を逃した「ドーハの悲劇」を経験したが、4年後の「ジョホールバルの歓喜」でフランス大会の出場権を獲得。2トップでコンビを組むことが多かった三浦知良の落選が話題をさらう中、中山は順当にメンバーに選出されている。
ワールドカップイヤーの98年は当時のギネス記録となる4試合連続ハットトリックをジュビロ磐田でマークして、本大会へ弾みをつけた。しかし、初の大舞台で日本代表は世界との差を痛感させられる。初戦のアルゼンチン戦、続くクロアチア戦をともに0-1で落としてグループステージ敗退が決まった。
得点のチャンスがないわけではなかった。クロアチア戦の34分には自陣でボールを奪った中田英寿がドリブルで駆け上がってクロスを上げる。ゴール前に走り込んだ中山はこれを受けてフィニッシュに持ち込むが、右足で蹴られたボールは相手GKに阻まれた。
一矢報いたいジャマイカ戦でも2点を先行される苦しい展開となった。それでも、先発出場した中山は走り続けた。そして74分、実にこの大会のチーム51本目のシュートから初得点が生まれる。左サイドの相馬直樹のクロスをファーの呂比須ワグナーが落とし、中山が太ももでゴールに押し込んだ。
日本代表の反撃もむなしく、初の大舞台は3戦全敗という結果で幕を閉じた。3試合すべてに先発した中山は、ジャマイカ戦後に右足腓骨を骨折していたことが判明。痛みを押して日本代表のために走り抜いた代償は小さくなかったが、中山のゴールが4年後の自国開催のワールドカップでの躍進への第一歩となったのかもしれない。