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クロアチア代表の「背番号10」は、どうやら他の国の「背番号10」とはやや毛色が違う。圧倒的なスター選手が着けているというより、先頭に立ってチームを引っ張る生粋のリーダーたちが着けてきた背番号だった。ユーゴスラビアが崩壊して独立した後、初出場だった1998年フランス大会から2018年ロシア大会までクロアチア代表が過去に参戦した5度のワールドカップで背番号10を託された選手たちの系譜を振り返る。
フランスワールドカップ(1998)
【写真:Getty Images】
背番号10:ズボニミール・ボバン(ミラン)
生年月日:1968年10月8日(当時29歳)
個人成績:6試合出場/0得点2アシスト
監督:ミロスラフ・ブラゼビッチ
戦績:3位
1988年にユーゴスラビア代表としてデビューを飾り、同国解体後にクロアチア代表となって1998年フランス大会でワールドカップ初出場を果たした。
ミランで絶頂期にあった司令塔は、背番号10を任されて決勝トーナメントではキャプテンマークも巻いた。ただ、グループリーグ第2戦の日本代表戦だけはベンチに座ったままピッチには立たなかった。それでも2連勝で早々に決勝トーナメント進出を確定させる。
準々決勝でドイツ代表に3-0で快勝を収めた後の準決勝。開催国フランス代表との一戦でクロアチア代表は誰もが予想しなかった先制点を奪ってみせた。しかし、ボバンは自陣でボールを失い、同点ゴールの原因になってしまう。それから試合をひっくり返され、クロアチア代表として初めてのワールドカップは準決勝敗退となった。
当時のクロアチア代表のエースはダボル・シュケルで、このストライカーにゴールを取らせるためのカウンター戦術が組み立てられていた。ボバンは3位決定戦のオランダ代表戦でシュケルのゴールをアシストしている。大会を通じて6試合に出場し、ゴールはなかったものの2アシストを記録した。