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アルゼンチン代表の背番号10といえば、やはりディエゴ・マラドーナだろう。1986年のメキシコワールドカップ優勝を経験したレジェンドは、いまでもカリスマ的な人気を誇る。そして、のちに同じ背番号10を託された選手たちは、結果を求められる重圧とともにマラドーナの幻影とも戦うことを強いられてきた。果たして真の後継者は現れたと言えるのか? 18年ロシア大会までのワールドカップでアルゼンチン代表の「10」のシャツを着た選手たちの系譜を振り返る。
日韓ワールドカップ
【写真:Getty Images】
背番号10:アリエル・オルテガ(リーベル・プレート)
生年月日:1974年3月4日(当時28歳)
個人成績:3試合出場/0得点1アシスト
監督:マルセロ・ビエルサ
戦績:グループリーグ敗退
20代前半で欧州に飛び出したが、バレンシアやサンプドリア、パルマでは目立った活躍を見せられず、2000年にアルゼンチンの古巣リーベル・プレートに戻って復活。当時まだ若手だったパブロ・アイマールやハビエル・サビオラとともに前線をけん引し、輝きを取り戻した。
日韓大会はオルテガにとって3度目のワールドカップで、4年前の悔しさを晴らすための絶好の舞台でもあった。1998年フランスワールドカップの準々決勝、自身のペナルティエリア内でのダイブに対して抗議したオランダ代表のGKエドウィン・ファン・デル・サールに頭突きを見舞って退場処分に。アルゼンチン代表はその試合に敗れ、オルテガはワールドカップ敗退の戦犯として糾弾された。
だが、三度目の正直を誓った背番号10の思いははかなく散った。主力としてグループリーグ全試合に先発出場したが、強豪ぞろいのグループで第2戦のイングランド代表戦を落とし、第3戦ではスウェーデン代表と引き分けてしまい、決勝トーナメント進出すらも果たせなかった。
南米予選を首位で通過したことで前評判は高く、欧州の強豪でプレーする選手も揃っていながら、アルゼンチン代表は3試合で2ゴールしか奪えず。オルテガはスウェーデン代表戦の終盤にエルナン・クレスポの劇的な同点ゴールをアシストしたものの、勝利に直結する結果は残せなかった。
その後、2003年2月を最後に代表からは遠ざかり、キャリア後半はアルコール依存症にも苦しんだ。2010年5月、南アフリカワールドカップ直前に3年ぶりの招集を受けてハイチ代表との親善試合に先発出場したが、4度目のワールドカップ出場は叶わなかった。