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イタリア代表は2018年ロシアワールドカップの出場を逃した。2010年と2014年は2大会連続でグループリーグ敗退に終わる屈辱を味わい、2006年ドイツ大会での優勝を境に栄光から遠ざかっている。その中で、チームの中心として期待された選手たちも苦しんできた。今回はイタリア代表が出場したブラジル大会までのワールドカップで背番号10を任された“クラッキ”(名手)たちの苦闘の系譜を振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの
フランスワールドカップ
【写真:Getty Images】
背番号10:アレッサンドロ・デル・ピエロ(ユベントス)
生年月日:1974年11月9日(当時23歳)
個人成績:4試合出場/0得点1アシスト
戦績:ベスト8
アレッサンドロ・デル・ピエロはワールドカップに3大会、EUROに4大会出場しているが、イタリア代表として挑んだ大舞台では不思議と輝けなかった。
ユベントスでのトレードマークでもあった背番号10を任されたワールドカップは、フランス大会のみ。だが、主役は当時32歳のロベルト・バッジョだった。デル・ピエロは大会直前のチャンピオンズリーグ決勝で負傷しており、その影響からパフォーマンスを上げられずにいた。
グループリーグ初戦はベンチで見届け、第2戦は後半途中からの出場に。第3戦以降は先発起用されたものの、フランス代表に敗れる準々決勝までにゴールは1つもなく、アシストも1つだけ。背番号10のエースとして背負った期待を裏切る結果となった。
一方のロベルト・バッジョはグループリーグ3試合で2得点2アシスト。第3戦のオーストリア戦ではわずか20分足らずの出場だったにもかかわらず、90分に決勝点となるゴールを奪ってイタリア代表を決勝トーナメントに導いた。
準々決勝のフランス代表戦、セカンドトップで先発起用されたデル・ピエロは0-0で拮抗していた状況にもかかわらず、67分に交代を告げられてアンジェロ・ディ・リーヴィオと入れ替わりでピッチを去った。PK戦までもつれることになる激戦でこのような交代策を指揮官に決断されたことは、この大会でのパフォーマンス不振を象徴していると言えるだろう。