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マルキーニョス【写真:Getty Images】
ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア代表)
生年月日:1965年3月3日
所属クラブ:名古屋グランパス(94年夏~01年夏)
J1通算成績:184試合出場/57得点
ユーゴスラビア代表の中心選手だったストイコビッチは、母国の強豪レッドスター、マルセイユなどでプレーし、1994年夏に名古屋グランパスに加入した。
加入当初は半年の契約だったが、翌年にアーセン・ベンゲルが監督に就任したこともあり、契約は延長された。翌年から2年連続ベストイレブンに選出。96年10月にアーセナルの監督に就任したベンゲルはストイコビッチをロンドンに連れていこうとしたが、ストイコビッチはこれを断ったという。
Jリーグで残した成績は、184試合57ゴール。雨中のリフティングドリブルやヒールパスなど、華麗なプレーが印象的だった。ピクシーの愛称で親しまれたファンタジスタは名古屋で7年間プレーし、2001年の1stステージを以って現役を引退した。
現役引退後はユーゴスラビアサッカー協会やレッドスターの会長といった要職を歴任したのち、2008年に名古屋グランパスの監督に就任。田中マルクス闘莉王、ジョシュア・ケネディなどを擁して、2010年にクラブ初のJリーグ制覇を成し遂げた。
マルキーニョス(ブラジル出身)
生年月日:1976年3月23日
所属クラブ:東京ヴェルディ(01年夏~02年)、横浜F・マリノス(03年)、ジェフユナイテッド市原(04年)、清水エスパルス(05年~06年)、鹿島アントラーズ(07年~10年)、ベガルタ仙台(11年)、横浜F・マリノス(12年~13年)、ヴィッセル神戸(14年~15年)
J1通算成績:333試合出場/152得点
マルキーニョスは2001年夏に、本拠地を川崎から東京に移したヴェルディに加入した。03年に移籍した横浜F・マリノスではケガの影響もあって8得点に終わったが、2ステージ完全制覇のリーグ優勝に貢献。その後はジェフユナイテッド市原、清水エスパルスと渡り歩いた後、鹿島アントラーズに07年に加わった。
鹿島はマルキーニョスが加入した07年から3連覇を達成。マルキーニョスも08年に年間MVP、得点王、ベストイレブンの個人3冠に輝いている。既に30歳を過ぎていたが、高い技術と献身的なプレーでチームに多くの勝利をもたらした。
11年にはベガルタ仙台に移籍したが、東日本大震災の影響もありブラジルに帰国。翌年からマリノスに復帰し、14年からはヴィッセル神戸でプレーした。15シーズンで9度の2ケタ得点をマークしたマルキーニョスは、外国人としては歴代最多の152ゴール、全体でも歴代5位という数字を残した。まさに歴代最強外国籍ストライカーにふさわしい選手と言えるだろう。
エメルソン(ブラジル出身)
生年月日:1978年12月6日
所属クラブ:コンサドーレ札幌(00年)、川崎フロンターレ(01年)、浦和レッズ(01年夏~05年)
J1通算成績:100試合出場/71得点
サンパウロの下部組織出身のエメルソンは、21歳のときに岡田武史監督率いるコンサドーレ札幌に加入した。札幌では31得点、J2に降格した川崎フロンターレでは半年で19得点をマークし、01年夏に浦和レッズに移籍した。翌年から10番を背負ったエメルソンは、3年連続ベストイレブンに選出され、04年には27ゴールで得点王を獲得。2ndステージではクラブ初のステージ優勝に貢献した。
05年も引き続き浦和でプレーしたが、カタールのアル・サッドが高額な移籍金と年俸を支払ってエメルソンを獲得。その後はフランスのレンヌやUAEのアル・アイン、ブラジル国内のクラブを渡り歩き、18年に現役を引退した。
爆発的なスピードで相手DFを幾度となく置き去りにし、高い決定力でゴールを積み重ねていった。通算成績で見れば他の選手に比べれば少ない数字だが、残したインパクトは大きかった。
【了】