「犬飼病」と呼ばれた時代
当初、20歳の若武者は安定感を欠き、失点に絡むミスを犯すことも少なくなかった。ふとしたところで集中力が切れる場面も散見され、周囲からは「犬飼病」とも揶揄された。それでも、指揮を執る反町康治監督(当時)は「ワンちゃん(犬飼)には才能がある」と言い続け、決して外すことなく、チャレンジ&カバーや立ち位置という基本から叩き直し、試合で使い続けた。
妥協を知らない指揮官の要求は厳しく、犬飼も半べそをかきながら食らいついた結果、2014年のJ1初昇格の原動力に。その急成長ぶりは目を見張るものがあった。「あの1年半があるから今がある」と本人も痛感しているに違いない。
その後、古巣・清水に復帰して3シーズンを戦い、常勝軍団・鹿島の一員になった。しかし、大岩剛元監督やレジェンド・小笠原満男、内田篤人の求める基準は反町監督以上に高かったはずだ。
加えて言うと、移籍当初は昌子源、植田直通という代表CBコンビがいたため、犬飼は控えに回ることも少なくなかった。同年夏に植田が欧州移籍に踏み切った後もチョン・スンヒョンが加入。彼らの壁に阻まれ、この年は最後までレギュラーの座を掴み切れなかった。