第100回全国高校サッカー選手権は、青森山田高校の優勝で幕を閉じた。2009年の来日以降、日本サッカーの取材を続けてきたショーン・キャロル氏は「今はただ、彼らがこの瞬間を楽しむことができさえすればいい」と綴る。果たしてその真意とは?(文:ショーン・キャロル)
「今」を重視しない傾向が強まる一方
過去2年間は準優勝に終わっていた青森山田が、3度目の高校選手権日本一に輝くことができた。満員の国立競技場を舞台として今週月曜日に行われた決勝では大津に4-0の勝利を飾っている。
高校選手権は日本の新年の大きな風物詩のひとつだ。青森山田の優勝メンバー20人全員にとって、彼らの今後に何が待っていようとも、聖地国立のピッチの上で掴んだ勝利は大事な思い出となるだろう。
放送局にとっても中立のファンにとっても魅力的なポテンシャルを持った大会だが、ここでひとつ忘れてはならないことがある。この大会で成し遂げた結果には、それが今後に向けてどのような扉を開くかにかかわらず、あくまでその結果自体に大きな意味があるということだ。
現代のサッカーでは、またおそらくサッカー以外の日常生活においても、「今」を重視しない傾向が強まる一方だ。あらゆることに対して、より先の未来に向けてどのような意味を持つかという位置づけが行われる。一時の勝利や栄光を噛みしめる時間はなく、すべては次の何かへ進むための踏み石であると捉えられてしまう。
たとえばイングランドでは、多くのクラブにとって、プレミアリーグを4位以内で終えることの価値が他の国内タイトル獲得を狙う意味を上回ってしまった。UEFAチャンピオンズリーグの出場権と、それに伴って得られる富によるものだ。
また一部のファンは、目の前で行われている試合でクラブを応援すること以上に、移籍市場に対する異様なほどのフェティシズムに傾倒してしまっている。YouTubeやTwitterで短い動画を見ただけの新戦力候補が今後のチームに何をもたらすのか、そればかりをいつも考え続けている。
高校サッカー選手権に対しても、ある種似たような空気はある。