日本人が誰もいない土地で…
――欧州移籍を決断した理由について聞かせてください。2020年にFC東京でコンスタントに試合出場のチャンスを得られるようになったものの、完全にレギュラーとは言えない立場でした。
「FC東京は大好きなクラブだったんですけど、移籍を決めた一番の理由は環境を変えたいという気持ちでした。クロアチアを移籍先に選んだのは、FC東京で活躍できていなくて、イストラが自分を求めていると強く感じたからです。
イストラがスペインのアラベスと深い関係にあるのは知っていましたけど、そんなに簡単にスペインへ行けるとは思っていませんでしたし、まずは与えられた環境で活躍しなければどこへ行ってももダメだと思って、クロアチアでがむしゃらに頑張ろうという一心でした」
――海外移籍に対する憧れはずっと抱いていたのでしょうか。
「もともと早く海外に行きたいと思っていました。僕の代理人の弟さんである本田圭佑選手にも、一緒にサッカーをした時に『早くヨーロッパへ行け』と言っていただいていました。もちろん、ただ闇雲に海外へ行けばいいわけではないと思うんですけど、挑戦することで得られるものは確実にあります。
そして、FC東京でプロになってからの3年間はなかなか活躍できていなくて、成長のために最も必要なのが環境を変えることだと感じるようになっていました。自分の欲しいものは何でもあって、好きなレストランにも行けて、言葉も通じる東京に慣れてしまっていて、そういう意味でも環境を変えて挑戦したいと思っていたんです」
――長谷川健太監督のもとでプロになり、FC東京で過ごした3年間はどう振り返りますか?
「試合にそんな出してもらえなかったんですけど、それが自分にとってすごくよかったと思っているんです。内側から悔しい気持ちが出てくるタイプなので、練習してもっとうまくなってやろう、結果を出してやろうという気持ちになれました。
もちろん試合に出してくれればやれるという気持ちがあった反面、試合に出るために求められる基準が常にすごく高かったので、自分に言い訳できない環境でした。自分を伸ばしていくために厳しい基準があったのは、中途半端なまま試合に出られて調子に乗るよりよかったと感じます。厳しい環境を作ってくれた長谷川監督には感謝しています」
――イストラでの日々はどんな経験になりましたか? 当然、まわりに日本人はおらず、孤独な日々だったのではないかと想像していました。
「イストラのホームタウンはプーラという田舎町だったんですけど、僕がいた約4ヶ月間で日本人には1人も会いませんでした。それどころかアジア人すら見かけませんでした。最初の頃は孤独で寂しい気持ちもありましたけど、チームメイトやスタッフのみんながすごく優しくて、楽しく過ごせたので、いい経験になったと思います」