小社主催の「サッカー本大賞」では、4名の選考委員がその年に発売されたサッカー関連書(実用書、漫画をのぞく)を対象に受賞作品を決定。このコーナー『サッカー本新刊レビュー』では2021年に発売されたサッカー本を随時紹介し、必読の新刊評を掲載して行きます。
『FCバイエルンの軌跡 ナチズムと闘ったサッカーの歴史』
(白水社:刊)
著者:ディートリヒ・シュルツェ=マルメリング
訳者:中村修
定価:5,280円(本体4,800円+税)
頁数:510頁
500ページ以上の大部の本書を読了するにはかなりのエネルギーが必要だが、FCバイエルンのファンでなくても、ドイツサッカーやサッカーそのものに興味がなくても、スポーツと政治との関わりを理解したい人にとって必読の書といってよい。
スポーツは政治と深い関係にある。というより、政治がスポーツを利用して国威高揚をはかり、他国、他民族への差別を露わにすることは現代も続いている。直近の話題では、冬季北京オリンピックにアメリカをはじめとする西側諸国が外交的ボイコットを宣言していること。欧州のサッカートップリーグの選手たちが、アメリカの警官が市民を殺害した事件に端を発した人種差別反対運動、ブラック・ライブス・マター(BLM)への支持を表明したことがこれほど大きな論議を呼んでいる。最も顕著に政治がスポーツを利用したのは、ナチズムの時代だった。本書はFCバイエルンとユダヤ人との関係から、政治とスポーツの関係をあぶり出す。
著者は現在ドイツを代表するサッカージャーナリストで、サッカー史研究家でもある。2011年に出版された第一版はサッカー書籍年間最優秀賞を受賞し、その後第二版が2013年、第三版が2017年に出版されるなど、ドイツだけでなく世界で広く長く読み継がれている。それはFCバイエルンだけでなくドイツサッカーの歴史におけるユダヤ人が果たした役割について、本書ほど冷静詳細に分析してまとめた本はない、と評価されているからであり、また政治がサッカー(スポーツ全般にも言えるが)に介入することで、サッカーが本来持っている「力」がいかにゆがめられてしまうかを語っているからだ。
120年の歴史があるFCバイエルンには、創設からユダヤ人が深く関わっていた。だが、FCバイエルンはユダヤ人が創設して発展させたクラブというわけではない。『1900年から1933年までのFCバイエルンは――少なくとも当時の状況では――世界に開かれたリベラルなクラブであり、ユダヤ人までもが故郷のように感じられるクラブだった。信仰や国籍がどうであろうと、チームではまったく問題にならなかったのだ』と著者はいう。
1911年からはユダヤ人のクルト・ランダウアーがFCバイエルンの会長に就任し、彼のもとでバイエルンはドイツ王者のタイトルを獲得した。そのときチームを率いていたのはオーストリア=ハンガリー系ユダヤ人であるリヒャルト・ドンビーだった。たしかに初期の栄光の時代を築いたのは、ユダヤ人たちだったと言っても過言ではないが、だがFCバイエルンはユダヤ人が主体のクラブではなかったし、そう表明していたわけでもない。
FCバイエルンでユダヤ人の選手やスタッフはむしろ少数派だったし、ホロコーストの時代にクラブがユダヤ人選手やスタッフを積極的に擁護したわけでもない。クラブはどちらかというとユダヤ人との関わりをなかったことにしてきた。ナチズム体制下、ユダヤ人への迫害が激化する中でも『FCバイエルンの側からナチスに向けられたのは表立った抵抗ではない。むしろそれは無気力と引き延ばし作戦を混ぜ合わせたもの』だった。
そうやってやり過ごしていくことで、クラブは生き延びをはかった。戦後もユダヤ人との関わりは見過ごされてきたが、近年サッカーだけでなくナチズムの時代にスポーツで活躍したユダヤ人たちの名誉を回復する動きが出てくるにつれ、FCバイエルンとユダヤ人との関わりにも光が当てられるようになっている。本書の第三版が出版されたとき、クラブの公式セレモニーでFCバイエルン・ミュンヒェン株式会社代表取締役とイスラエル民族共同体ミュンヒェン・オーバーバイエルン会長から、改めてドイツサッカーおよびFCバイエルンの歴史におけるユダヤ人が果たした功績が称えられたそうだ。
一方で本書は、第二次世界大戦下で、しかもナチズムという異常な政治思想に支配されたドイツだったからスポーツの世界でも人種・民族差別が露骨に行われたわけではない、ということを強調している。ヒトラーだけでなく、ムッソリーニやフランコなどポピュリズムに頼る独裁者たちはスポーツ(特に大衆に人気のあるサッカー)を自分たちのプロパガンダに利用してきた。勝ち負けがはっきりしているスポーツの試合で、他国、他民族、他人種に対する優位を誇示し、対戦相手を「敵」とみなしてゆがんだ「愛国心」をあおり、国威高揚をはかり、それを戦争に結びつけてきた。国別対抗戦であるオリンピックやワールドカップは、ポピュリズムを自分たちの政治基盤にしている政治家たちにとっては「国威高揚」の格好の舞台なのだ。
国、人種、民族、ジェンダーに関係なく、一緒にボールを蹴り、走り、プレーを称え合う、そんなヴァイマール時代のドイツに見られたようなサッカーが、政治の介入によっていかに簡単に壊されていくか。本書はそれを教えると同時に、同じことが現代も起こっているその危険性も示している。政治との関係をどうはかるか。サッカー(スポーツ)は今、改めて岐路に立っている。
(文:実川元子)
実川元子(じつかわ・もとこ)
翻訳家/ライター。上智大学仏語科卒。兵庫県出身。ガンバ大阪の自称熱烈サポーター。サッカー関連の訳書にD・ビーティ『英国のダービーマッチ』(白水社)、ジョナサン・ウィルソン『孤高の守護神』(同)、B・リトルトン『PK』(小社)など。近刊はS.g.フォーデン『ハウス・オブ・グッチ』(早川書房)。
【了】