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『もっと寄せろよ。もっと行けよ』。どこが違う? 酒井高徳が語る日本と欧州、評価の基準【インタビュー前編】

text by 柴村直弥 photo by Getty Images

現代サッカーの語り部として酒井高徳ほど相応しい現役プレーヤーはそういない。12月6日発売の『フットボール批評issue34』より、欧州・SB と二つの共通点を持つ柴村直弥が、酒井高徳が考える現代サッカー、現代SB 像に迫った「現代サッカーを言語化する」を一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(文:柴村直弥)

日本の「やられてない」は海外では求められていない

1209-酒井高徳
【写真:Getty Images】

柴村「久しぶり」

酒井「お久しぶりです。僕はちょくちょくメディアで柴村さんを観ていましたよ」

柴村「DAZNで解説をやらせてもらってるから、高徳の試合は観ているよ」

 実は酒井高徳選手とは日本ではなく海外で対戦している。2012年1月にトルコのアンタルヤで私はパフタコールの選手としてプレーし、酒井選手はシュトゥットガルトの選手としてプレーしていて、キャンプの練習試合で対戦したのだ。当時は酒井選手が移籍してすぐというタイミングだった。まずはその時の感覚を訊いてみた。

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柴村「あの時は移籍してすぐのタイミングだったんだよね。練習試合も最初?」

酒井「そうですね。まさにチームに合流して間もない最初のキャンプでした。チームの練習試合自体は確か2試合目だったと思います」

柴村「あの試合で日本との違いみたいなものを感じたりした?」

酒井「あの試合は攻撃で手応えを掴めて自分の中ではやれたと思っていたんですけど、通訳から聞いた話だと監督から『自分が思っていた選手と違って幻滅した』と言われたんですよね。今思い返してみると、自分が日本でやってきたことや、やれていたことを海外でやっても、自分が思っているサッカーと180度違うんだとあの時に気付かされました。

 あの試合ではもちろんやれた部分、やれなかった部分がありましたけど、自分の中では初めての試合にしてはやれたと思っていたので、日本で求められていたことと海外で求められていることが違うことに気付かされた試合だったと思います」

柴村「自分も日本と欧州でプレーして、もちろん日本では高徳のようにJ1で主力でやっていたわけではないし、欧州でもドイツのようなトップレベルではないから同じレベルではないけど、求められていることの違いの印象としては通じる部分があるかもしれない。自分の場合は持ち味であった球際の部分やヘディングやスライディング、奪ったボールをできるだけ速くよりゴールに直結する味方へ繋げるという部分は、日本にいた時よりも海外で評価してもらえた部分のような気がする。

 あの試合も自分のところから良い攻撃ができたシーンはほとんどなかったと思うけど、要所要所で球際で競り勝って相手からボールを奪ったり、左サイドを前のSHの選手を動かしてうまく守ったりというのはあったから、逆に試合後にパフタコールのセルビア人監督からは『良いプレーだった』と言われた。そういう評価の違いはあるよね」

酒井「それはありますよね。守備のところで自分がやれていると思った部分に関しても、よく日本では『やられてない』という言い方をするじゃないですか。ただステイしていて背後を取られていなかったら試合を通してやられていないみたいな。あの試合、僕はそういう感じで守っていたと思うんですよね。自分としてはやられていないんですけど、監督からすると全員がボールサイドに寄ってプレッシャーに行っているのに、僕だけプレッシャーに行かずに簡単に剥がされていたりとか。

 そもそも自分が行かなければいけないシチュエーションもわかっていなくて、あっさり展開されてしまったりして、監督からすると『もっと寄せろよ。もっと行けよ。簡単にクロス上げさせんなよ』と思っていたでしょうね。そういう部分が全然違ったのだと思います。今思えば1本のクロスを上げさせない、1本のシュートを打たせないとか一つひとつのプレーのこだわりというのが、海外で徐々に鋭くなっていったと感じています。

 先程、柴村さんも言っていた評価の部分は、海外では違って根本から自分の感覚を変えなければいけないと思いましたね。あとから考えると海外でやっていく上で大事なことだったので、それに早めに気付いて改善していけたのはよかったと思います。ドイツで長くプレーしていくことができたキーポイントとなる試合だったと感じています」

『フットボール批評issue34』

<書籍概要>
定価:1650円(本体1500円+税)
教養としての現代サッカー
時期を合わせるかの如く欧州帰りの選手から「日本と欧州のサッカーは別競技」なる発言が飛び出すようになった。立て続けの印象が強いのは欧州から日本に帰還する選手が増えた証拠であろう。彼らが言いたいのは、欧州のサッカーは善、日本のサッカーは悪ではなく、欧州のサッカーは現代、日本のサッカーは非現代というニュアンスに近いのではないだろうか。もちろん、「組織」などのレンジの広い構造面も含めて……。
好むと好まざるとにかかわらず、現代サッカーの教養を身に付けない限り、「別競技」から「一緒の競技」に再統合することは断じてない。幸いにも同業界には現代サッカーを言語化できる日本人は少ないながらも存在する。攻撃的か守備的か、ボール保持かボール非保持かのようなしみったれた議論には終止符を打ち、現代か非現代か、一緒の競技か別競技かのような雅量に富む議論をしようではないか。

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【了】

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