8年前にも師から職を引き継ぎ…
マスカット青年はその後、1997年1月にイングランドの名門クリスタル・パレスへ移籍する。サウス・メルボルンFCで4シーズンを過ごす中で、「ポステコグルーコーチ」は「ポステコグルー監督」になっていた。
そして15年後、2人は互いに指導者となって同じ職場で働くことになる。2011年にスパイクを脱いだマスカットは、現役最後の2年間に選手と並行して務めていたメルボルン・ビクトリーのアシスタントコーチとして働き続ける道を選んだ。
すると2012年夏、「私にとって初めての本物の指導者だった」と絶大な信頼を置くポステコグルーが同クラブの監督に就任したのである。マスカットは師と慕う大先輩のもとで右腕を務めることになった。
そしてポステコグルー監督がオーストラリア代表監督に就任するにあたってメルボルン・ビクトリーを離れると、マスカットは2013/14シーズンから同クラブの監督に昇格。マリノスで職を引き継いだのと同じ流れが8年前にもあったのだ。
ポステコグルー監督が率いた2012/13シーズンのメルボルン・ビクトリーには、ビルドアップ時の組み立て方や崩しの考え方、攻撃的なチーム全体の方向性に至るまで、今のマリノスに通ずる要素がふんだんにあった。
また、マスカット監督が2018/19シーズンまでの長期政権の中で築き上げたチームも非常に攻撃的な哲学を持っていた。2017/18シーズンにはAリーグを制覇し、監督として初タイトルを獲得している。
のちにサンフレッチェ広島でもプレーするベサルト・ベリーシャという絶対的な得点源を中心に据え、技巧派のジェームズ・トロイージや極めて高いチャンスメイク能力を備えた左利きのオランダ人MFレロイ・ジョージらが脇を固めるメルボルン・ビクトリーの攻撃陣が発揮した破壊力は驚異的だった。