東京五輪開催が強行されている理由
だが日本のスポーツ界は過去1年間に、サポーターのスタジアム入場を安全に管理できることを示してきた。人数制限を設け、安全対策を遵守する一定数の観客を各会場に入れることができれば、五輪に対しても、アスリートたちにも、主催者にも、そしてもちろんファン自身に対してもプラスの効果をもたらしていたはずだ。
「五輪をやるにあたって、国民の税金がたくさん使われていると思うんです。なのに国民が見に行けないのは、じゃあいったい誰のための、何のための五輪なのか。アスリートは、当たり前ですけどファンの前でプレーしたい」。日本が大会前の最後の親善試合でスペインと対戦したあと、吉田麻也がそうコメントを述べたことは大きく報じられた。
「家族もそうだと思う。家族も戦っている一員。その人たちが見られない大会で、誰のための、何のための大会なんだろうってクエスチョンがあります」
誰のため、何のための大会であるか、そしてあらゆる困難と反対を押し切って五輪開催が強行されている理由は、もちろん誰もが分かっている。ファンに対する入場禁止はその事実を強調するものでしかない。本来なら自分たちの最大限の力を出し切ろうとするチームと個々人の祝祭であるはずのイベントが、ほとんど義務であるかのような感覚も強められてしまう。
(文:ショーン・キャロル)
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