【写真提供:横浜F・マリノス】
横浜F・マリノスは5日、昨季限りでドイツ・ブンデスリーガ2部のザンクト・パウリを退団していた元日本代表FW宮市亮の加入を発表した。背番号は「17」に決まっている。
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2010年12月にアーセナルと契約した宮市は、18歳で海を渡ってからオランダ、イングランド、ドイツで約10年間にわたって活躍してきた。マリノスの一員となり、プロキャリアで初めてJリーグクラブに所属することとなる。
「マリノスのためにプレーをして、マリノスをもっともっとビッグな、アジアでもNo.1のチームになるような働きで貢献したいと思いますし、自分の特徴、スピードだったりを出していくことにフォーカスしていきたいと思います」
5日からマリノスのチーム練習に合流した宮市は、オンラインでの入団会見に臨み、新天地での挑戦に向けた決意を語った。
欧州内での移籍も模索していたというなかで、なぜ日本への復帰を選んだのか。その理由については「マリノスはJリーグ創成期からあるチームで、本当にビッグクラブという認識があるので、そのチームから本当に熱心なオファーをいただいた、その誠意に応えたかった、そこが一番です」と語った。
中京大中京高校時代以来となる日本でのプレーを、「僕にとってはチャレンジという思い」で決断した。2020/21シーズンは負傷が続きリーグ戦1試合の出場にとどまっており、マリノスで完全復活を目指すことになる。
「本当に自分はサッカーをできることが幸せでしかないというか、ここ10年いろいろありましたので、日本だろうが海外だろうが、またサッカーができる環境がある、プロとしてサッカーをさせていただけるところがあるのが、僕にとって本当にありがたいこと。そういうのを噛み締めながら、毎日楽しんでいきたいと思います」
やはり宮市のキャリアを語るのならば、「怪我」を避けては通れない。ウィガン時代に右足首のじん帯を立て続けに痛めて長期離脱を強いられたのをはじめ、ザンクト・パウリでは加入1年目のシーズン開幕前に左ひざの前十字じん帯を断裂。そこから本格復帰した約半年後の2017年夏のシーズン開幕前に、今度は右ひざの前十字じん帯を断裂するなど、度重なる大怪我に祟られてきた。
18歳でアーセナルと契約した当時は将来の日本代表を背負って立つ存在と期待されたが、その後のキャリアは停滞。ザンクト・パウリでは不屈の精神で怪我から立ち直った姿を見たサポーターからカルト的人気を誇ったが、ポテンシャルの全てを開花させたとは言い難かった。
だが、宮市自身は欧州で過ごした約10年を経て、自分の内面と向き合い、強くたくましく成長してきたのは間違いない。その実感は、彼の胸に刻まれている。
「正直なところ、18歳でアーセナルと契約した時に思い描いていたキャリアではないです。ただ、今は本当に幸せです。この10年間、引退かという時もあったので、今思い返せば苦しいこともありましたけど、それを経て、本当にサッカーができる喜びというか、プロ選手でいられるありがたみ、それは誰よりも感じているところだと思います。
18歳の時はそんなことも思っていなかったというか…。サッカーができること、健康でいることが当たり前で、ベーシックなところに感謝できていなかった自分が正直いたと思うので。キャリアの面では、ヨーロッパで成功したとは言えないと思いますけど、今の自分は好きですし、マリノスに移籍してまたプレーする機会をいただいたので、このチームのために全力でやりたいと思います」
スピードに関して「そこは僕のキャリアの生命線」と、今でも確固たる自信を持っている。前田大然や仲川輝人ら爆速を武器とする実力者が揃うマリノスの前線に、頼もしい新戦力が加わった。
(取材・文:舩木渉)
【了】