日本と英国の期待と重圧のレベルの差
一つの傾向としては、控えめに言っても懐疑論と言うべきものが見られた。セルティックのファンは、「日本でしか経験のない」「聞いたこともない」何者かが自分たちの歴史あるクラブを率いるという話に好印象を抱いていない様子だった。
もちろん、こういった理由で誰かを批判するのは全く馬鹿げた話だ。聞いたことのある監督がいつも良い仕事をするとは限らないし、現在なら少し調べただけでもポステコグルー監督がオーストラリアと日本のクラブでも、オーストラリア代表監督としても成功を収めたことが簡単に分かるだろう。しかしこの反応は、日本と英国のサッカーにおける期待と重圧のレベルの差を表している。
一方で、“アンジェボール”の熱烈なファンたちは、彼らの応援する監督に今回のチャンスが与えられることを歓迎しているようだ。ポステコグルー監督をこき下ろす者たちに反論し、彼は欧州の名門クラブに十分以上にふさわしい指揮官だと主張していた。こちらの場合は逆に、もう少し慎重になってみてもいいかもしれない。確かにポステコグルー監督はどこへ行っても最終的にタイトルを獲得してきたが、自身の率いるチームに対して非常に特徴的な戦い方をさせようとする監督であり、その実現のためには時間もかかる。
一部のセルティックファンの反応も示しているように、ポステコグルー監督にグラスゴーで与えられる時間はそれほど長くはない可能性が高い。クラブは散々なシーズンを過ごし、スコティッシュ・プレミアリーグで宿敵レンジャーズに悠々とタイトルを奪われ10連覇を阻まれてしまったばかりだ。
ポステコグルーがセルティック・パークに喜びを取り戻すために必要な精神力も戦術的ノウハウも兼ね備えた監督であることに疑いの余地はない。それでも、クラブと選手たちからの全面的な協力が得られず、彼の手法が早いうちにファンからの支持を得られることもなかったとすれば、前進を遂げる前に厳しい状況に陥ってしまいかねない。