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ラ・リーガの消えた逸材たち。天国から地獄へ…才能を開花させられなかった5人の選手

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

一時はラッパーに転身も…

ロイストン・ドレンテ
【写真:Getty Images】



ロイストン・ドレンテ(元オランダ代表)

生年月日:1987年4月8日
現所属クラブ:ラシン・ムルシア(スペイン4部相当)


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 フェイエノールトの下部組織で育ち、2005/06シーズンにトップチームデビューを飾った。当時から規律違反を起こすなど問題児と知られていたが、攻撃的な左サイドバックとして才能を高く評価され、北京五輪予選を兼ねていた2007年のU-21欧州選手権では大会MVPに輝いた。この活躍に目をつけたのが、レアル・マドリーだった。

 同年8月、当時20歳の若手選手に対しては破格と言える移籍金1300万ユーロ(約16億円)でマドリーに引き抜かれる。そして負傷者続出のチーム状況もあって左サイドバックとしてリーグ戦18試合に出場し3得点2アシストと、1年目から結果を残す。

 ところが守備面の課題が一向に改善されず、その後はマルセロの牙城を崩すことができなかった。出場時間はシーズンを重ねるごとに減っていき、2010/11シーズンにはラ・リーガ1部に13年ぶりの昇格を果たしたエルクレスへ期限付き移籍することとなる。

 伸び悩みは顕著だった。やはり守備の緩さは致命的で、エルクレスは左ウィング起用がメインになる。しかし、そこでも信頼を勝ち取れなかった。2011/12シーズンはプレミアリーグのエバートンへ期限付き移籍し、順調に出場を重ねていたところで事件が起きた。2012年3月、クラブから休暇を与えられていたドレンテは練習へ戻るのが遅れてデイビッド・モイーズ監督の怒りに触れ、チームから追放されてしまう。

 この直後にオランダの雑誌『Helden』のインタビューの中で過去にリオネル・メッシや、マドリー時代にチームメイトだったガブリエル・エインセやゴンサロ・イグアインから受けた人種差別を告発したことが物議を醸した。何かと話題に事欠かなかったドレンテは2012年夏に契約満了を迎えたマドリーからも放り出され無所属になってしまう。

 そこからのキャリアは転落と表すのがふさわしいだろう。半年近い無職を経てロシア1部のスパルタク・ウラジカフカスに加入するも、短期間で退団。2014年夏からはイングランド2部のレディングで1年、シェフィールド・ウェンズデーで半年プレーし、トルコ1部のカイセリ・エルシエススポルへ。ここも半年で去ると、今度は中東に進出してUAE1部のバニヤスに加入した。

 驚くべきはここからだ。2016年夏にバニヤスを退団したドレンテは、2017年2月に現役引退とラッパーへの転向を発表したのだ。2011年にもオランダの女性歌手とコラボレーションした自身の楽曲をリリースしていたが、本格的に音楽の道に進むことを決断したのだった。

 ただ、これすらも長く続かないのがドレンテである。2018年1月末、母国オランダのアマチュアクラブ、ゼルゼス・DZB・ゾンタグで現役に復帰し、同年夏にはオランダ2部のスパルタ・ロッテルダムに加入。地元ロッテルダムでプロサッカー界に舞い戻った。

 2部ではリーグ戦32試合に出場して5得点6アシストと結果を残して健在ぶりを示し、スパルタの1部昇格にも貢献した。だが、19/20シーズンは残留せずオランダ3部のコザッケン・ボーイズに移籍。さらに20/21シーズンにはスペインに戻り、ラシン・ムルシアというクラブに所属している。

【了】

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