新潟の背番号10が退場
名倉巧が中盤でボールを受けてフリーになり、危険な攻撃を繰り出そうとしていたところで、本間至恩が何をしようとしていたかを見て取ることができた。
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V・ファーレン長崎の相手FWとの距離を5ヤードのうち4ヤードまでは詰めたが、名倉がボールをリリースする前に残りの距離を詰めきれないと考えた本間は、相手の背後から遠慮なく足を出すことを選んだ。悪意というよりは冷淡さが生んだプレーではあったが、一旦プレーを続けさせた中村太主審が本間を呼んでイエローカードを提示したのは驚くにはあたらなかった。
アルビレックス新潟の背番号10は、その程度の罰で済んだことにやや安堵している様子もある。だが結局は、執行猶予が与えられただけでしかなかった。この教訓を活かすことができず、本間は後半開始から12分後に再び軽率なチャレンジを仕掛けて退場を命じられてしまう。
これもまた、直前のプレーから予感が感じられた結末だった。必死に敵陣内を駆け戻った本間は、毎熊晟矢に対してスライディングを繰り出して相手右サイドからの速攻をストップ。さらに前方へパスを送ろうとした毎熊のキックに対して頭を出したあと、最後は熱意が行き過ぎてしまい、足を上げてスパイクの裏を見せながら毎熊に対して第3ラウンドを挑んで飛びかかるという愚行を犯した。
実際のところ、このプレーだけでも一発レッドカードに値するものだったと言っていいだろう。だがピッチライン際の10ヤードと離れていない近距離から一連のプレーを目にしていたアルビレックスのアルベルト・プッチ監督は納得できず、チームを10人に減らす判定を下した中村主審に向けて、怒りを込めたジェスチャーを見せていた。
本間至恩の退場は「議論の余地がある」
「サッカーはスペクタクルです。サッカーを満喫したいサポーターがお金を払ってくれています。そういう意味では至恩のようなテクニックのレベルが高い選手たちというのは守らなければいけないのではないでしょうか。そのような中で、今日の彼に対する2枚のイエローカードというのは、議論の余地があるカードだと思います」。試合後の会見でプッチ監督はそう話していた。
彼も個人的には退場が正しい判定であったことを受け入れていたに違いない。ただ、監督が自らのチームのワンダーボーイを公の場で擁護するのは特に驚くべきことではない。まだ20歳と若い本間だが、J2で退場処分を受けたのはすでに2回目のことだ。昨季のレノファ山口FC戦でも、ほとんどボールを奪える可能性がない状況で眞鍋旭輝に対して同様に無謀なタックルを繰り出し、2枚目のイエローカードで退場を命じられた。
プッチ監督はそのことを踏まえていたのかもしれない。本間のプレーにおけるそういった部分を多少なりとも変えるため、優しく諭したこともあったのかもしれない。だが個人的には、そうではないことを願いたい。
164cm、59kgの本間は相手に威圧感を与えるタイプとは程遠いが、フィジカルで勝負を仕掛けるプレーも厭わない姿勢は、彼を他の多くの選手たちと比べて際立つ存在としている要素のひとつだ。もちろん、Jリーグ屈指の有望株として注目度を高めている一番の理由は、ボールを持った時のプレーではある。それに加えて相手ボール時にも鋭いプレーを繰り出すことで、真のトップクラスのタレントへと成長を遂げられる可能性があるかもしれない。
10人となった新潟が示した団結力
もちろんアルビレックスのチームメートたちは、彼の頭に血が上ってチームが数的不利に追い込まれる場面が多くはならないことを願っているだろう。だがV・ファーレン戦で受けたレッドカードは、これからシーズンが進んでいく中で、実は明るい兆しだったと回想されることになるかもしれない。
昨シーズン昇格目前まで迫ったチームを相手に一人少なくなったアルビレックスは、最後の30分間に底力を発揮することを求められた。その状況で1-0の勝利をもぎ取ることができたという事実は、トップリーグ復帰を目指す上でチームとしての自信を高めることに繋がるに違いない。
「選手たちにも伝えましたが、一人少なくなっても守り抜くことができたのはチームがしっかり団結していたからです。後半も11人対11人で戦い続けていれば、観ていたファンには我々のプレーをもっと楽しんでもらうことができたと思います。そういう意味では退場は本当に残念でした」とプッチ監督は語っていた。
もちろんその点について反論はほぼないだろう。アルビレックスのファンにとっても中立の観戦者にとっても、本間のようなクオリティーを持った選手がピッチ上にいた方が試合を楽しめることは確かだ。だが、ある種の尖った部分があるからこそ、高いレベルのパフォーマンスを発揮できる例が少なくないことも忘れてはならない。本間にそのポテンシャルを存分に発揮してほしいと考えるのであれば、そういった部分を削り取ってしまうべきではないだろう。
(取材・文:ショーン・キャロル)
【了】