新しい言葉ではない「プレーモデル」
「プレーモデル」という概念は、私が1999年にスロベニアから帰国した当時は、日本では一般的ではなく、まだそれほど見聞きすることはありませんでした。しかし、1992〜93年に日本代表監督を務めたハンス・オフトが「スモールフィールド」「アイコンタクト」「トライアングル」といった、今でいう「プレー原則」を用いてチーム組織を構築させており、この頃から「コンセプト」「共通理解」という言葉も使われるようになったのではと考えています。そういう意味では、「プレーモデル」=「コンセプト」と言っても差し支えないでしょう。
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「プレーモデル」または「ゲームモデル」という表現は様々な言語で訳されています。例えば、スロベニア語では「MODELIGRE」となり、これを日本語に訳すと「プレーモデル」となります。他の言語では「ゲームモデル」と訳されているようですが、「プレーモデル」と「ゲームモデル」は、同義だと認識しています。
「プレーモデル」という言葉自体は、新しい言葉ではありません。ヨーロッパでは50年以上前からすでに使われていたようです。私が25年ほど前に受講したスロベニア、または、UEFAライセンスコースでは、すでにプレーモデルに従ったトレーニングの構築がC級ライセンスからカリキュラムに組み込まれ、講義内容も「プレーモデルの構築」「プレーモデルに則したトレーニング」、試験では「プレーモデルについて記述せよ」といったものがあり、視察レポートは「プレーモデルとそれに対してマイクロサイクル(週のトレーニング)」の提出、などいった内容がすでに盛り込まれていました。
UEFAライセンス講習会では、著名な指導者を呼んだり、当時のトレンドだったアリゴ・サッキ(元ACミラン監督)やマルセロ・リッピ(元イタリア代表監督)のトレーニングを視察した指導者からプレーモデルを実際にプレゼンテーションしてもらうこともありました。
ライセンスコースの講習や実技では、旧ユーゴスラビアの指導者、ミロスラヴ・ブラジェビッチ(元クロアチア代表監督)、故トミスラウ・イビッチ(元FCポルト監督)らだけでなく、オーストリアやドイツで活躍する指導者たちから、自分が率いているチームのプレーモデルと実際のトレーニングを見せてもらいながら、「現代のプレーモデルに従ったトレーニングの構築」を学ぶことできました。
ベルデニックが作り上げたプレーモデルとは?
スロベニアではズデンコ・ベルデニックが代表チームの監督を務めながら(1994〜1997年)指導者養成の責任者も務め、ベースのなかったスロベニアにプレーモデルを作りあげました。
ユーロ96とフランスワールドカップ予選を戦いながら、ライセンスコースではスロベニア代表のプレーモデルやそのトレーニングメソッドなどを受講する指導者に紹介し、予選を通じて現場で経験したヨーロッパの舞台で戦うために必要なことなどを伝えていきました。その後、受講生でもあったスレチコ・カタネツ(元ユーゴスラビア代表)が引き継ぎ、それが独立から僅か10年ほどで2002年日韓ワールドカップ出場につながりました。
当時、ゾーンプレスでトレンドの中心にいた、アリゴ・サッキがUEFA内の代表監督を集めてイタリア代表のプレーモデルの講習会を行ったり、オランダのライセンス講習に呼ばれてプレゼンテーションを行ったりしていました。
他国でもフース・ヒディンク(元オランダ代表監督)やロナルド・クーマン(FCバルセロナ監督)など現役監督が自らのプレーモデルやプレー原則に基づくトレーニングを披露することはそれほど珍しいことではありません。
(文:濱吉正則)
【了】