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今季の移籍市場で約300億円をも費やし戦力を大幅アップさせたチェルシーだが、当初寄せられていた期待に応えるようなスタートダッシュをみせることはできていない。新戦力が多く日程も厳しい中で、なかなかチームとしての形を構築することができていない状況だ。
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前節はサウサンプトンと対戦したが3-3のドローに終わった。ティモ・ヴェルナーの2発で2点をリードし、後半にもカイ・ハフェルツが得点をあげたが、アディショナルタイムに被弾し勝ち点2を落としている。
そして、20日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)・グループリーグ第1節、セビージャ戦でも勝ち切ることができなかった。これで公式戦2試合勝利から遠ざかることになっている
そんな悪い雰囲気を払拭すべく、チェルシーは現地時間24日、マンチェスター・ユナイテッドの本拠オールド・トラフォードに乗り込んだ。スタメンはセビージャ戦とほぼ同じだったが、システムは3-4-2-1を採用している。
立ち上がりはやや様子見の展開となったが、徐々に球際でのバトルの強度が高まった。その中でチェルシーはクリスティアン・プリシッチの仕掛けなどで敵陣深くまで侵入したが、反対にユナイテッドのカウンターであわや失点というシーンも招いている。まさに、一進一退の攻防戦となっていた。
後半、チェルシーはユナイテッドに押し込まれた。相手はファン・マタとダニエル・ジェームズを下げ、エディンソン・カバーニやポール・ポグバを投入。元気が有り余っているかつ、能力も申し分ない二人が途中から出てくるのは、チェルシーにとって厄介だった。
チェルシーは引き分けでも御の字、という状況に追い込まれた。実際、ユナイテッドには際どいシュートを何本も浴びている。しかし、そんな彼らの前に立ちはだかったのはエドゥアール・メンディ。アフリカ人選手特有の身体能力と長い手足を活かしたセービングでシュートを弾き続け、ユナイテッドの悩みの種となった。
試合は互いに無得点のまま終了。どちらかと言えば勝利に近かったのはユナイテッドだろう。勝つべき試合だった。一方のチェルシーはこれで公式戦3試合未勝利。しかし、この日のドローに関してはすべてがネガティブなものではないのが事実だ。
苦悩の日々を乗り越えて
フランク・ランパードがチェルシー監督に就任して以来、スコアレスドローで試合を終えたのはこのユナイテッド戦が初めてだったという。実に62試合目でのことだ。「今日の選手たちのプロ精神には満足している。サウサンプトン戦(3-3)のこともあったから、選手たちとはゲームコントロールの仕方について話し合った」と指揮官は試合後に話している。課題はまだ多いとは言え、とくに問題となっていた失点数の多さがこの試合で改善されたのは、ポジティブだろう。
そんなチェルシーだが、クリーンシートはこの男がいなければ果たせなかったのかもしれない。それが、セネガル代表GKエドゥアール・メンディだ。
フランスの古豪レンヌで活躍していた守護神は、今年9月に2200万ポンド(約29億円)という移籍金でチェルシーに加入。ここ最近低調なパフォーマンスに終始していたケパ・アリサバラガに代わる新たな正守護神として、大きな期待を背負っていた。
しかし、28歳にしてビッグクラブの一員となったE・メンディだが、ここに至るまでは決して生半可な道ではなかった。
レアル・マドリードに在籍するフェルラン・メンディの従兄弟として知られるE・メンディは、プロスポーツ選手になりたいという夢を抱き、7歳でクラブチームに登録された。当時のアイドルはフランス代表でワールドカップ制覇などに貢献したファビアン・バルテズだったという。
2011年、E・メンディは当時3部のシェルブールで念願のプロデビューを果たしている。しかし、ここからは苦悩の連続であった。
プロの舞台でなかなか才能を発揮できなかったE・メンディは、2014年夏に契約解除を言い渡された。そこから実に1年間、『無職』の状態が続いたという。
「ある日の朝、代理人からクラブの練習場で(契約解除の)メッセージを伝えられた。そこから僕は毎朝、兄と共にジムに行くか、練習場を借りてシュートストップの練習を繰り返していたよ」。
E・メンディは当然、サッカー選手としての希望を捨ててはいなかった。しかし、生活面はやはり苦しかったようだ。しかも、パートナーとの間にはもうすぐ新たな命が誕生しようとしていた。
「最初の頃はまだ良かったよ。失業手当を受けられて、サッカーに集中できた。だけど、次第に信じられないほど苦しくなった。彼女は子供を妊娠していたからね。失業手当も次第に足りなくなったんだ。何か他のものが必要だったから、仕事も探し始めた」。
それでも、E・メンディはサッカー選手としての道を歩み続けることができた。2015年夏、マルセイユから練習生としてのオファーが届いたのである。
当時の心境をE・メンディは「マルセイユに行く機会があり、そこでトライアウトを受けたんだ。幸運なことに、合格できた。本当に安心したよ。1年間も無職だった時は自分のやっていることに疑問を抱いていたから。だけど、家族の支えでなんとか立ち上がれた」。
マルセイユでも満足いく出場機会を得られたわけではなかったが、2016年にスタッド・ランスに加入すると才能が開花。セネガル代表デビューも果たし、昨季は先述した通りレンヌで好パフォーマンスを披露した。そして、数年前まで無職だった男は、偉大なGKがプレーしてきたチェルシー移籍にたどり着いた。
「もし6年前、無職だった時に誰かが僕に『君は将来チェルシーに移籍するよ』と言っても聞く耳を持たないだろうね」とE・メンディは話す。さらに同選手は「今になって振り返ってみると、今の自分があるのはその時(所属クラブがなかった時)のおかげだと思う」ともコメントしている。
そしてE・メンディは、ユナイテッド戦でチームを幾度となく救った。ケパが不調で浮き彫りとなっていたGK問題に、いよいよ終止符が打たれたと言ってもいいだろう。数年前までサッカー選手としての人生はもちろん、普通の生活もギリギリまで追い込まれた男が、チェルシーに希望の光をもたらしている。
(文:小澤祐作)
【了】