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アルゼンチンを5-0粉砕した黄金期コロンビア。バルデラマ、アスプリージャ、イギータらの野放図な強さ

今も国民に支持される1993年のコロンビア代表。バルデラマ、アスプリージャ、イギータらが活躍した当時の代表チームは、独特の煌きを放ちながら南米を席巻していく。ハメス・ロドリゲスらを抑えるほどの人気を誇る代表は、どんなチームだったのか。(文:北澤豊雄)[sponsored content]

text by 北澤豊雄 photo by Getty Images

暗いコロンビアサッカーの希望だった3人の選手

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【写真:Getty Images】

 コロンビアサッカー史上、最高の10番は誰か、という討論番組が1年ほど前にコロンビアで放送された。視聴者アンケートもあり、投票結果はカルロス・バルデラマが51%、ハメス・ロドリゲスが46%だった。討論は「いつの代表が一番強かったか」という議論にも発展し、スポーツ記者やサッカー関係者らが意見を述べたが、「93年9月説」を唱える人たちが圧倒的だった。コロンビアのサッカーはこのとき絶頂を迎えたのである。

 コロンビアは86年のW杯開催国だったが、「うちの国にそんな経済力はない」と当時の大統領が放棄してメキシコが開催国となった。経済力もさることながら、80年代後半は麻薬戦争が激化して、国内のサッカーリーグも中断するほどだった。

 そんな暗い影を落としていた時代に光明が差し込んだのは、3人のスター選手の誕生だった。カルロス・バルデラマはアフロヘアーぎみの金髪という独特な風貌ながら巧みなボールコントロールと絶妙なスルーパスでコロンビアの司令塔に君臨した。中盤でボールを持つと相手を侮らせるようにゆったりとボールを運び、奪いに来た相手を撹乱した。

 バルデラマからのパスをゴールネットに叩き込んでいたのは、ファウスティーノ・アスプリージャである。クロヒョウのような瞬発力で躍動すると、踊るような姿態でゴールを量産した。そして3人目がエル・ロコ(狂人)と呼ばれたレネ・イギータだ。

 キーパーでありながら積極的に攻撃に参加し、しばしばゴールマウスを開けてハーフウェイラインまで切れのあるドリブルを仕掛けた。セットプレーのキッカーも担当した。長髪のカーリーヘアの風貌も相まって人気を博したが、きわめつけはイングランドとの親善試合。

タレント軍団アルゼンチンと激突した「93年9月」

 相手のループシュートに対してスーパーマンのようにやや前方にジャンプすると、体を反らして踵でボールを蹴ったのである。規格外のプレーはスコーピオンと呼ばれ、以降、彼の代名詞となった。セービングも飛び出しも一級だった。

 バルデラマは87年に代表本格デビュー。同年のコパアメリカでコロンビア3位の立役者となった。イギータは90年のイタリアW杯南米予選で存在感を見せた。アスプリージャは92年のバルセロナ五輪南米予選で活躍し、セリエAのパルマ行きの切符をつかんだ。コロンビアサッカー界が胎動し始めていた。

 そうして迎えたのが、アメリカW杯の南米予選。コロンビアは3人の個性派のほかに、欧州第一戦で活躍したフレディ・リンコンやアドルフォ・バレンシアら錚々たるタレントがそろっていた。史上最強の陣容と言われ、ホーム&アウェイ形式のグループ戦では同グループのアルゼンチンをホームで2-1で下すと、最終節のアルゼンチン戦をブエノス・アイレスで迎えた。「93年9月」である。

 この時点でグループの1位はコロンビア、アルゼンチンは2位で勝ち点はわずか「1」。負けたほうがプレーオフに回ることになっていた。ホームのアルゼンチンはフェルナンド・レドンド、ガブリエル・バティストゥータ、ディエゴ・シメオネらのタレントを擁した優勝候補の筆頭。同年のコパアメリカも制していた。

 7万人の観客が見守るなか、序盤はアルゼンチンが主導権を握った。均衡を破ったのは41分、中盤でボールを持ったバルデラマからのスルーパスを右からオーバーラップしてきたリンコンが受け、飛び出してきたキーパーをかわして流し込んだ。

 焦り始めたアルゼンチンはファールを連発していく。そして後半開始後の50分、アスプリージャがゴール前で倒れながらゴールを決めると、コロンビアは俄然、勢いづく。74分にリンコンがラッキー気味のシュートを決めると、圧巻だったのは76分のアスプリージャ。

伝説となった3選手。しかしイギータは……

 中盤で相手からボールを奪うと1人で運び、キーパーと1対1になったところで芸術的なループを決めた。アルゼンチンサポーターは茫然と立ち尽くして言葉を失った。圧倒的な強さでアルゼンチンを寄せ付けなかった。さらに86分にはアスプリージャのアシストでコロンビアが追加点を決めて5-0で試合を終えた。

 この試合を受けてペレは「アメリカW杯の優勝候補はコロンビア」と言い、コロンビアのサッカーが世界の耳目を引いた。後年、コロンビアがW杯南米予選を迎えるたびに国内ではこの試合の映像が繰り返し使われ、書籍化、TVドラマ化した。コロンビア中が熱狂の渦に包まれたという。

 そもそもコロンビアサッカーは1948年のリーグ創設以来、アルゼンチン人の指導下・影響下で歩みを始めた。リーグ得点王の座も40年近くアルゼンチン人が独占してきた。目の上のタンコブだったのである。

 自国のW杯放棄で挫折し、アルゼンチンサッカーの“占領下”で麻薬戦争によるテロリズムが日常と化した国にとって「93年9月」は、興国をかけた戦いでもあったのだ。

 とはいえ、イギータはこの予選もW杯アメリカ大会も不在だった。どこで何をしていたのかといえば、コロンビアの刑務所にいたのである。麻薬カルテルの大物の娘の誘拐事件に連座したかたちだが、のちに冤罪と判明した。

 あの熱狂以降、3人が国際舞台で同時にピッチに立ったのは95年7月のコパアメリカである。コロンビアは3位で終わったが、この個性派3人が一同に会したという意味で「95年7月説」を取る人もいるようだが、いずれにしても90年代前半のコロンビア代表には南米の2強にはない独特な煌めきと野放図な強さがあった。

(文:北澤豊雄)

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カルロス・バルデラマ1
カルロス・バルデラマ2
アスプリージャ1
アスプリージャ2
レネ・イギータ1
レネ・イギータ2

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【了】

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