内田篤人
鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人が24日にオンライン会見を開き、現役引退を決意するに至った思いや選手生活の思い出、今後の見通しなどを語った。
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内田は20日に鹿島を通して今月限りでの現役引退を発表。23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦に交代出場して約75分間プレーし、これがラストマッチとなった。
すでにG大阪戦後の挨拶でも語っていたように、引退を決めたのは万全のコンディションでのプレー続行が難しくなったという思いによるものだという。「鹿島の選手らしい立ち居振る舞い、立ち姿が僕にはできていないなと。少し抑えながらのプレーを続けていて、(他の選手が)練習でも100%でやっている中で、隣に立ってはいけないと思いました」と内田は語った。
シャルケに在籍していた2015年に右膝を負傷し、2年近くに及ぶ長期離脱を余儀なくされた。復帰を果たしてプレーを続けてきたが、以前の体の状態には戻らなかったという感触があるようだ。「膝がどうこうというより、手術したあとの1年、2年の空白が効いたなと思います。技術的なものより運動能力が落ちたなと。走る、止まる、ターンするという基本的な能力が一番ガツンときたかなと思います」と振り返った。
今月12日にはYBCルヴァンカップの清水エスパルス戦に先発出場したが、「後半は持たない。行けるところに行けない。そういうシーンが数多くあって、あの試合が自分の中でやめなきゃダメだという後押しになったかもしれません」。その清水戦を試合を終えたあと、クラブに引退の決断を伝えたとのことだ。
G大阪戦では予想外の早い出場となり、積極的なパフォーマンスも見せていたが、やはり自分の中では物足りなさを感じたようだ。「途中交代でも最後の10分くらいは持たなくて、足が止まってしまうのはもう終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいるので。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質は良かったかなと思います」
「環境を変える選択肢もあったと思いますけど、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここでやめさせていただきたいと思いました」と内田。日本国内では鹿島以外のクラブでプレーすることなく現役生活を終えることになった。
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