【写真:Getty Images】
23日に行われた鹿島アントラーズ対ガンバ大阪戦を最後に、現役生活に別れを告げることになった内田篤人。日本代表の不動の右サイドバックを務め、欧州のトップレベルでも活躍した男は、負傷の影響もあり32歳での引退を決断することになった。
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鹿島でも高卒ルーキーとして1年目から定位置を確保し、瞬く間に日本最高のサイドバックの一人に成長した内田は、2010年に欧州へと旅立つ。ドイツの強豪シャルケでも1年目の秋にはレギュラーに定着し、クラブ史上初、日本人選手初のチャンピオンズリーグ(CL)準決勝進出を果たすなど大きな飛躍を果たした。
シャルケではブンデスリーガでもCLでも数多くの名勝負を経験してきたが、その中でも内田にとってベストマッチのひとつだったと言えるのが2013年3月のルールダービー。宿敵ボルシア・ドルトムントに2-1の勝利を収めた試合で、チームの2得点両方を演出してみせた。
この年負傷による離脱を繰り返していた内田は、2月から3月にかけても右太もも肉離れで約1ヶ月の欠場。だがダービーマッチの大一番で復帰を果たすと、チームを勝利に導く素晴らしいパフォーマンスを披露することになった。
前半11分には右サイドからのクロスでユリアン・ドラクスラーのゴールをアシスト。さらに前半35分にも質の高いボールをゴール前に入れ、クラース・ヤン・フンテラールの頭にピンポイントのクロスを合わせて2つ目のアシストを記録した。
ラストマッチでもタイミングの良い攻め上がりや正確なクロスからチャンスを演出するなど、G大阪の宮本恒靖監督も語ったように「最後にするにはもったいない」パフォーマンスを見せた内田。間違いなく日本サッカーに偉大な足跡を残した選手の一人だった。