トップ昇格と同時に武者修行へ出るも…
「みなさんこんにちは。トップ昇格しました松田詠太郎です。今年は期限付き移籍が決まっていて、マリノスの勝利に直接貢献できることはないんですけど、移籍先で成長して、またこのチームに帰ってくる時にはマリノスの力になれるよう頑張るので、よろしくお願いします」
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1月11日に行われた横浜F・マリノスの2020シーズン新体制発表会で、松田詠太郎は武者修行先での活躍を力強く誓った。ユースからトップチームへの昇格とともにSC相模原へ育成型期限付き移籍も発表されていたため、1年間はJ3で戦うつもりでいたはずだ。
およそ半年でマリノスへの復帰が決まり、8月8日に行われた明治安田生命J1リーグ第9節の柏レイソル戦の後半途中からピッチに立ってJ1デビューを飾るとは誰が予想しただろうか。
新型コロナウイルス感染拡大の影響でJ3は6月27日にようやく開幕を迎えるに至った。松田はその開幕戦からスタメンに抜てきされ、第2節の藤枝MYFC戦でプロ初ゴールを挙げる。そして第5節のヴァンラーレ八戸戦ではチームを勝利に導く2アシストも記録。第7節まで全ての試合に出場し、うち5試合で先発起用されるなど三浦文丈監督の信頼をがっちり掴んでいた。
一方、マリノスでは前年度J1得点王&MVPを獲得した仲川輝人が負傷により長期離脱を強いられ、遠藤渓太のドイツ移籍も決まったことで前線の選手層が薄くなっていた。今後はリーグ戦のみならず、マレーシアで集中開催が決まったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループリーグや、YBCルヴァンカップのプライムステージなども重なってくる。そういった過密日程を総力戦で乗り切るためにも補強は必須な状況で、白羽の矢を立てられたのがJ3で好パフォーマンスを披露していた松田だった。
「相模原でも常にマリノスのことは意識していましたし、早く戻りたいという気持ちも常にあったので、『その日が来たな』という感じではありました。結構早い段階でチャンスが回ってきたので、自分も正直びっくりしていた部分もあったんですけど、『チャンスをここでつかむ』という強い気持ちを持って挑みました」
およそ30分間プレーした柏戦を終えた後、松田は落ち着いた様子で自らのJ1デビューを振り返っていた。
交代でピッチに足を踏み入れる直前、先輩の扇原貴宏に「思い切りやってこいよ」とばかりにポンポンと頭を叩かれ、スタジアムに名前がコールされるとスタンドからの拍手は一層大きくなった。ユース育ちの19歳に、チームメイトのみならずファン・サポーターからも大きな期待が寄せられていたのは間違いない。
J1デビューの自己採点は「60点か70点」
ピッチ上では積極性が光った。65分、右サイドでボールを受けると得意のドリブルで一気に加速し、対面の戸嶋祥郎を置き去りにしてクロスを上げる。67分には再び右サイドでパスをもらい、喜田拓也とのワンツーで相手ディフェンスを振り切ってゴール前に鋭く折り返した。いずれも味方には合わなかったが、チャンスメイク能力の高さを示すには十分なプレーだった。
まだ守備時のポジショニングやプレー強度、フィジカル面の不足など課題は感じる。それでも80分に見せた空中戦の競り合いで相手選手に一度は弾き飛ばされながら、食らいついてボールをすぐ奪い返したシーンに象徴されるように、必死さや献身的な姿勢はチームに前向きなエネルギーをもたらしている。周りの選手たちも「詠太郎、前!」「詠太郎、もう1回!」など、意識的な声かけでJ1初舞台の若者をサポートしていた。
「緊張というより楽しみな気持ちがすごく大きかったです。相模原でも試合に出させていただいていて、自分の中では相模原で成長できたと思って、自信もかなりついていたので、緊張よりは楽しもうと思って今日はプレーしました。自己採点すると、目に見える結果は出せなかったので、60点とか70点くらいですね」
松田は自身のJ1デビュー戦のパフォーマンスを前向きに振り返った。柏戦後の10日には杉本竜士の横浜FCへの期限付き移籍も発表されたため、今後もJ1での試合出場のチャンスは広がっていくだろう。
初めて一緒にピッチに立ったオナイウ阿道も「(マリノスに復帰して)そんなに時間も経っていないですし、チームの戦術だったりも、今いる(他の)みんなほどはまだ理解できていない中でも積極的に自分から仕掛けていってチャンスを作るシーンがたくさんあった。ああいう選手がいてくれると勢いも出ますし、チャンスの数も増えていたと思うので、詠太郎にはそれを続けて欲しいと思います」と、J1デビューとなった後輩に賛辞を送っていた。
今季のマリノスからは多くの若手選手たちが期限付き移籍で下位カテゴリのクラブへ武者修行に出ている。
山田康太と山谷侑士はJ2の水戸ホーリーホックへ、椿直起と生駒仁はJ2のギラヴァンツ北九州へ、原田岳と池田航は相模原へ、吉尾海夏はJ2のFC町田ゼルビアへ、松田と同期のブラウンノア賢信はJ3のカマタマーレ讃岐へ、西山大雅はJFLのラインメール青森へ。彼らはそれぞれに合ったカテゴリのクラブに貸し出されている状況だ。先日、東京五輪世代のGKオビ・パウエル・オビンナはJ2栃木SCへの育成型期限付き移籍も発表された。
昨季15年ぶりのJ1優勝を果たしたマリノスでは、20歳前後の若手がすぐに出番を得るのは難しい。また、占有して使える練習場がない事情もあって公式戦で出番の少ない選手だけ2部練習を課すなど、練習量を増やすことも難しい。今季に限っては過密日程や新型コロナウイルス感染予防の観点から、例年のように頻繁に練習試合を組めない事情もある。
若手をいかに育てるか
だからこそ、何よりも経験を積んで成長の糧を得る必要のある若手選手たちは、より公式戦に出場できる可能性の高い環境でプレーすることが重要になる。クラブの未来を背負う若手の育て方について、マリノスの小倉勉スポーティングダイレクター(SD)は以前こんなことを言っていた。
「約10人の選手が武者修行に行っていますけれども、そういう選手たちもトップチームに所属している選手も含めて全員が競争です。ただ、『横浜F・マリノスに所属していること』が大事なのではなくて、むしろいかに若い間に試合経験を積めるかが重要になります」
生え抜きであることにはこだわらず、とにかく実戦の場で己を鍛えることこそが成長への最短経路。結果的にマリノスのトップチームへ戻ることができなくとも、継続的に公式戦出場を重ねることで間違いなく選手自身の評価が高まることにはつながり、その後のキャリアにおける可能性が大きく開けてくる。
また、何よりも「監督のやろうとしているサッカーに合う選手を獲ってくるのが、一番の目的」とも小倉SDは話していた。つまり新戦力の補強もレンタル選手の復帰も、今はアンジェ・ポステコグルー監督が必要性を感じなければ実現しない。
負傷者や退団選手が出たという事情があるにせよ、おそらく複数の選択肢があった中から指揮官がチームに必要と判断して選んだのが「松田詠太郎」だったということだろう。J3で7試合に出場しただけの高卒ルーキーだが、その成長曲線はシーズン開幕当初の想定を大きく超えて右肩上がりに伸びていっていた。
松田は相模原で過ごした半年間について「色々な先輩方に話をしていただいたり、(プロ)選手として自覚を持つこともできましたし、プレーだけではなく、プロの厳しさだったりも知ることができたので、選手としてひと回りもふた回りも成長できたかなと思います」と振り返った。
J1でプレーするにあたって自信もつけて、念願のマリノスでのデビュー戦で「攻守ともにもっと関わることだったり、守備への貢献はまだ自分の課題だと思っています」と改善点を認識するとともに活躍への手応えも感じている。
「マリノスのサッカーは自分の特徴を生かせるサッカーだと思うので、自分の特徴である縦にどんどんいく姿勢だったり、ドリブルをこのチームで生かして、早く結果につながったらいいと思います」
松田の早期復帰がもたらすもの
松田が最も得意とする右ウィングはチーム内で最も競争の激しいポジションの1つだ。負傷離脱中の仲川や、高精度クロスが武器の水沼宏太、爆速でピッチを駆け抜けるエリキ、そして高校生ながらプロ契約を結んだユースの後輩・津久井匠海など個性豊かな実力者たちが揃う。
ポルトガルで実績を残し、先ごろ加入が発表された前田大然が右ウィングで起用される可能性もある。その中で19歳のルーキーがすぐレギュラーポジションを獲得するのは非常に難しいかもしれない。
それでもポステコグルー監督が松田の実力を評価し、チームへの必要性を認めているのは事実。柏戦の重要な局面でいきなり起用したのも期待の表れだろう。もし「育成型期限付き移籍」から復帰してJ1王者の主力に定着できれば、すなわち他の若手選手たちに「俺たちも頑張れば必ずチャンスがある」と希望を与えることにもなる。
なかなか勝ちが続かない現状にはチアゴ・マルチンスや仲川の不在も少なからず影響しているだろうが、新戦力のフィットが進み、夏場の連戦を戦い抜くためのコンディションも仕上がってきているように見える。マリノスらしいアタッキング・フットボールの哲学は全く失われていない。
過密日程で難しいやりくりを強いられる特殊なシーズンで、松田にもより多くのチャンスが巡ってくるはずだ。そして、本人が言う通り「得点に絡んでこそスタメンになれる一番の近道」なのは間違いない。マリノスのウィングとして求められる動きをいち早く体得し、ゴール前で違いを作れる存在になることができるだろうか。
「J1でもトップレベルの選手たちと日々練習できて、今までと違ったレベルの高さでプレーできているので、常にいろいろ考えながらプレーしていますし、いろいろな選手からいろいろなことを盗んで、日々成長していきたいと思います」
ファン・サポーターへのお披露目となった新体制発表会で「この歴史あるクラブでプレーすることが小さい頃からの憧れだった」と語った向上心に溢れる19歳は、アカデミーのみならず、期限付き移籍先で武者修行を積む若手選手たち、そしてクラブ全体の希望の星だ。
(取材・文:舩木渉)
【了】