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クロアチア代表、歴代ストライカーの系譜。独立からW杯準優勝へ…98年得点王に輝いた名手の現在は?

クロアチア代表は1991年の同国独立からと歴史は短いが、ワールドカップで目覚ましい躍進を見せてきた。初出場だった1998年フランス大会は3位、2018年ロシア大会では準優勝を果たし世界を驚かせた。この20年あまりで世代が移り変わってきた中で、どんな選手たちが前線を引っ張ってきたのだろうか。ワールドカップを起点に、クロアチア代表の歴代ストライカーたちの活躍を振り返る。

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

フランスW杯(1998)〜日韓W杯(2002)

ダボル・シュケル
【写真:Getty Images】

ダボル・シュケル
生年月日:1968年1月1日
個人成績(1990):0試合出場/0得点0アシスト ※ユーゴスラビア代表として出場
個人成績(1998):7試合出場/6得点0アシスト
個人成績(2002):1試合出場/0得点0アシスト



ユーゴスラビア代表として1990年のイタリアワールドカップに出場した経験を持ち、1992年のクロアチア独立後は生まれ故郷のクロアチア代表となった。そして、1998年のフランス大会と2002年の日韓大会にも出場し、2ヶ国の代表としてワールドカップに参戦した珍しいプレーヤーとなった。

クロアチア代表として初めてのワールドカップでは、6得点を挙げてチームを3位入賞に導くとともに、大会得点王に輝いた。当時レアル・マドリードでチャンピオンズリーグ優勝メンバーとなった直後のシュケルは、グループリーグ第3戦のアルゼンチン代表戦を除く6試合でゴールネットを揺らした。

そのうちグループリーグ第2戦の日本代表戦、ラウンド16のルーマニア代表戦、3位決定戦のオランダ戦で奪ったゴールは決勝点だった。そして、1998年のバロンドールを選ぶための投票ではジネディーヌ・ジダンに次ぐ2位になった。

2002年の日韓ワールドカップではグループリーグ初戦のメキシコ代表戦でキャプテンマークを巻いたものの、第2戦以降は出番なしに。クロアチア代表も決勝トーナメント進出を逃した。2003年にドイツの1860ミュンヘンで現役を引退。2012年7月からはクロアチアサッカー連盟の会長を務めている。

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