目前で手放したプレミア初制覇
2013/14シーズン、リバプールは念願のプレミアリーグ制覇に王手をかけていた。残り3試合を2勝1分なら自力で優勝が決まる。11連勝で第36節のチェルシー戦を迎えていた。
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問題の「あれ」が起こったのは前半のロスタイムだった。自陣でパスをつないでいたとき、スティーブン・ジェラードが足を滑らせてしまう。流れたボールをデンバ・バが拾ってゴール。ホームのアンフィールドで圧倒的攻勢だったリバプールにとって、晴天の霹靂ともいえる失点だった。
あのスリップがなければ、リバプールはプレミア初優勝していたに違いない――そう思っているファンは多いだろう。ただ、あれのせいだと大きな声で言う人は少ないかもしれない。スリップしたのがジェラードだったからだ。
失点直後のジェラードの呆然とした表情が事の重大さを物語っていた。サポーターがどれだけリーグタイトルを渇望しているか、最もよく知っている選手だった。彼自身が熱烈なサポーターだったからだ。ジェラードも、ジェラードを知るファンも、いたたまれない気持ちになる出来事だった。
振り返れば、そんなに深刻になるようなことではなかった。足が滑った、それで前半に1点を失った。ただそれだけのことなのだ。ジェラードもリバプールも後半に挽回しようと懸命にプレーしていた。しかし、後半のロスタイムにウィリアンに決められて0-2。重要な試合で起きた重要なミス(というかハプニング)、それが与えた心理的な影響は大きかった。やってしまった、しかもそれがジェラードだったということが。
次節、クリスタルパレス戦にそれが表れている。79分まで3-0とリードしていながら、終わってみれば3-3。リバプールは2位マンチェスター・シティに抜かれ、そのまま優勝をさらわれてしまった。
エースで主将でサポーター
スティーブン・ジェラードはリバプールの生え抜きである。1998年にリーグデビュー、当初は右SB。手足の長い、ひょろっとした少年といっていい顔つきだった。
やがて体格も逞しく、顔つきも精悍になり、2003/04シーズンにはキャプテンを任されるまでに成長する。ポジションもすでに本来のMFになっていた。ラファエル・ベニテス監督の時代を支えた中心選手だった。BOX TO BOXのセントラルMFとして、あるいはトップ下として、豊富な運動量と技巧でリバプールを牽引し続けた。
ミドルシュートが格別だ。普通の選手の30メートルが、ジェラードには15メートルしかないように見える。インサイドキックで打っているミドルも多く、強烈なのに精度が素晴らしかった。そのキック力から、距離感が普通の選手とは違っていたのだと思う。
なにより、サポーターとの共感力があった。ここで得点がほしいというときにゴールし、いまが我慢のときだという瞬間にスライディングタックルでピンチを救う。ヒルズボロの悲劇で仲の良かった従兄弟を亡くしている。ジェラード自身が熱烈なサポーターなのだ。アンフィールドの熱量をプレーに変換できる資質に恵まれ、その感度が高かった。
アンフィールドで印象に残っているシーンがある。マリオ・バロテッリが相手選手ともつれてタッチラインから飛び出し、フェンスに叩きつけられた。イングランドのフィールドは水はけのためにフィールドからスタンドにかけての傾斜がきつく、坂道のようになっている。
瞬間湯沸かし器のバロテッリが立ち上がって報復に向かおうとした瞬間、スタンドから手を伸ばした2、3人のファンがバロテッリを抑え込んでいた。まるで興奮した馬を落ち着かせるように、ファンはバロテッリに何事か話しかけ、ひと呼吸おいてから「さあ行け」とフィールドへ送り出していた。
このスタジアムは物理的にも精神的にも、ファンと選手の距離がとても近いのだ。ジェラードはかつてスタンドにいた。やがてフィールドに下りてプレーし、主将となった。よくクラブのため、サポーターのためと言うが、ジェラードほど相応しい選手もいない。自分とチームとファンの間に境目がない。ジェラードはリバプールの選手兼、キャプテン兼、エース兼、サポーターだからだ。
その誰よりも優勝を望んでいたジェラードがやらかしてしまった。選手として、キャプテンとして、エースとして、そしてサポーターとして、すべてのダメージを負ってしまった。これを切り替えるのは本人もチームもファンも容易ではなかったに違いない。
ベニテスからブレンダン・ロジャーズ監督に至る時期を支えたジェラードは、翌14/15シーズンを最後にリバプール退団。米国のロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍した。
(文:西部謙司)
【了】