クラブ全体が大きく揺れる中での入団
2016年6月、酒井宏樹は4年間在籍したドイツのハノーファーから、フランスリーグのマルセイユへと移籍した。
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それから4シーズンたった今、『1試合ダメなプレーをすればサッカー選手人生が終わる』と言われるほどプレッシャーがきつく、自国フランス人選手でさえもサバイバルは相当なチャレンジであるとされるこのクラブで、彼は確固とした「居場所」を築いている。
酒井が入団した当時、右サイドバックのポジションにはコートジボワール人DFブリス・ジャジェジェがいた。しかし、ポジション争いをすることになるかと思われた彼はまもなくイングランドのワトフォードに移籍し、酒井はプレシーズンマッチにもほぼフル出場という充実した準備期間を経て、開幕の日を迎えた。
新天地での初戦を先発フル出場で飾ると、このシーズンのリーグ戦でGKヨアン・プレを除くフィールドプレーヤーでもっとも多くの時間ピッチに立った選手となった。
というと順風満帆なスタートだったようにも聞こえるが、この年は前オーナーが身売りを決めたことで夏の間に主力がごっそりと抜け、10月には監督、オーナーともども運営陣も一新と、クラブ全体が大きく揺れ動く時期にあった。
酒井にとってもいきなりの監督交代。フランス語にも慣れない中で、新指揮官リュディ・ガルシアが求めることを「残らず理解しよう」と絶えず神経を研ぎ澄ませ、次の試合に出場できるか手探りだったそのシーズンは、「毎試合僕は、すがるような気持ちでサッカーしていました」と、ギリギリの精神状態での戦いだったことを明かしている。
しかし、その酒井のひたむきな挑戦を、ガルシア監督は評価していた。この頃、右サイドを専門とするサイドバックは酒井一人しかいない状態だったが、冬のメルカートでは補強を行わず、さすがにオフシーズンでの人員確保は最優先事項と誰もが思った予想を裏切り、シーズン総括会見の席でガルシアは、「右サイドバックの補強は急務ではない」と言い切った。それは来るシーズンも、酒井に安心して任せられる、という信頼の表れだった。
それどころか、その後酒井は、けが人が重なって手薄になった左サイドバックや、3バック時には真ん中、さらにはボランチ的な役割も任されるようになった。酒井にとっては「本業の右サイドバックでやりたい」というのが本音だっただろうが、本職の左サイドバックが復帰しても酒井を優先することもあったガルシア監督の期待に、酒井は懸命に応えた。
新たなタイプの選手像
入団当初から評価されていたのは、的確なタイミングで攻め上がっては精度の高いクロスを出せる攻撃面。初年度のアシスト数はカップ戦も合わせて3本にとどまったが、ピンポイントのクロスをFW陣が決め損なう場面も多々あり、「FWが下手じゃなければ今季のサカイは10アシストは記録している」とコメントするファンもいた。
「対人プレーでは相手と間をあけて守る」、と子供の頃から訓練されていたこともあり、酒井にとって距離を縮めて当たりに行くデュエルの習得はチャレンジだった。周囲との連係やポジショニングなど、課題は多々あったが、対戦相手をしっかりリサーチする研究熱心さや勤勉さ、わからないことがあれば躊躇なく尋ねる素直な姿勢は、加速的に酒井のパフォーマンスを向上させた。
最初のシーズンも年を明けた頃からは、地元記者たちが、「今日のサカイは…」といったように、彼のパフォーマンスを値踏みすることすらなくなった。それは酒井がマルセイユでプレーするに値する選手であると、彼らが認識したことの象徴だった。
チームの貴重な戦力になっただけでなく、酒井にはもうひとつ、別の功績があったと感じている。それは、これまでフランスにいなかった新たなタイプの選手像となったことだ。
チームのために持てる力を出し尽くす、というのは、選手誰もが思うこと。しかし酒井の場合は、似ているが少し違う。彼は常に、自分のプレーで周りの仲間がより力を出せる状況を作り出すことを意識している。そんな彼に、ガルシア監督も重鎮記者たちも、「面白い選手だ」という印象を持った。
酒井はいつも「サイドバックはチームを勝たせてようやく評価される、チームが勝つためになにができるか、というポジション。サイドバックが目立っていた試合は、良い内容ではなかったということ」と話すが、それは日常生活においても、いかに自分をアピールして評価を得るかが重要視される世界では珍しい考え方だ。
しかしかといって、「黒子的な役割に徹する」というのとも違う。インテリジェンスや身体的なタフさ、ポリバレントさといった自分の持ち味を存分に駆使することで、周りの選手のパフォーマンスも上げる。酒井のプレーには、テコのような作用があった。
「フランス代表に招集されたのはヒロキのおかげ」(トバン)
右サイドでコンビを組んだフロリアン・トバンが、酒井とのコンビネーションが彼自身のパフォーマンス向上にもつながり、「フランス代表に招集されたのはヒロキのおかげ」とまで言っているのはよく知られた話だ。しかし彼だけでなく、選手たちが口々に「酒井がいるとやりやすい」と言うのを聞くにつれ、地元記者が酒井を見る目もますます変わっていった。
初年度にともにプレーした元フランス代表のストライカー、バフェティンビ・ゴミスも、「サカイはチームに必要な選手だ。けれどそれはピッチの外でもだ。彼はいつも笑顔で、人に優しく接し、周りのために役に立ちたい、という姿勢でいる。今のチームに貴重な存在だよ」と話していた。
酒井が必要以上に仲間と一緒に過ごす時間を作っていたわけではない。むしろ逆で、「みんなと仲良くはしていますが、僕は練習場では自分のルーティンがあって、色々やることがたくさんあるので(笑)。いつもつるんだりはしないようにしているんです」と言っていた。自身も努力家であるゴミスは、いつも練習後にジムで一緒になる酒井の、見えないところでの頑張りを知っていたのだ。
2017/18シーズンのヨーロッパリーグ(EL)準々決勝、第2レグのRBライプツィヒ戦で、酒井はマルセイユ入団後初ゴールを決めた。マルセイユにとってその試合5点目のゴールだったが、総計では4-3、1失点すればアウェイゴールの利で敗戦の可能性もあったタイミングでの貴重な追加点だった。
奇しくもこの日は、酒井の28歳の誕生日。「あとはゴールだけだ」と酒井の初得点を待ち望んでいたガルシア監督以下、ベンチスタッフや選手たちの喜びようは凄まじかった。
その後のロッカールームでの仲間たちの騒ぎっぷりも「おまえがスコアラーか?」くらいに相当なものだったから、謙虚な酒井も、このときばかりは自分がいかに仲間たちから愛されているかを実感したようだった。
PSGにリヨンファンも「サカイは本当に好きな選手」
そして昨シーズンは、マルセイユサポーターが選ぶ年間最優秀選手、「年間ベストオリンピアン」に選出されるという最高の栄誉にも預かった。
一般的に、フランスで人気があるのはガンガンに攻め上がって攻撃に絡むタイプのサイドバックだ。その年、選手組合(UNFP)が選ぶアワードで、トップ3チーム外でただ一人、年間ベストイレブンに選出されたのも、5ゴール9アシストを記録したストラスブールの右SBケニー・ララだった。
しかし3年間、酒井のプレーを見続けてきたファンは、好不調の波が少なく、体を張ってチームのパフォーマンスを格上げする彼の貢献をしっかりと評価していた。
それに加えて彼らのハートをがっちりとらえているのは、「マルセイユのために全力を出し尽くしたい」という思いが、酒井のプレーから溢れ出ていることだ。それはサポーターが選手に一番に求めている姿勢であり、「この点にかけて、チームでサカイの右に出る者はいない」と、彼らは口を揃える。
驚くのは、マルセイユサポーターだけでなく、PSGやリヨンといったライバルクラブのサポーターまでもが、「自分はマルセイユファンではないが、サカイは本当に好きな選手」と言っていることだ。酒井はフランスで、ファンがこうあってほしいと願うプロフットボーラーとしての尊敬を勝ち取り、日本人選手のイメージまで向上させている。
新監督アンドレ・ビラス・ボアスを迎えた今シーズンは、慣れないシステムや、足首の負傷に苦しんだこともあり、ベストのシーズンは送れていなかった。新型コロナウイルスの影響で3月中旬にリーグが中断したことで、手術を受け、来季に向けてじっくり療養できたのは、酒井にとっては良い機会だったかもしれない。
マルセイユに来たとき酒井は、「ここには自分をふるいにかけるというつもりできたんです。ここでやれるなら、自分はまだヨーロッパでやれる。ダメならいさぎよく日本に帰ろうと…」。そんな強い覚悟で挑んだのだと言っていた。
「外国籍の自分には、人より良いプレーをしないと居場所はない。平均的な評価を得ても意味がないので、人より走って人より戦って、ということが、自分の居場所を見つける唯一のものだった。いくら良いヤツでもプレーがうまくいっていなければ認めてもらえないですから」。
「サカイは自らのプレーで、ここに居場所があることを証明したよ」と言ったのは、番記者の一人、地元『ラ・マルセイエーズ紙』のミシェル・ガロシオだ。来季は、念願のチャンピオンズリーグ(CL)出場が待っている。
(取材・文:小川由紀子【フランス】)
【了】