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Jリーグ 4年前

Jリーグ無観客劇場への覚悟はあるか。村井満チェアマンの“判断基準”に迫る【インタビュー前編】

“無観客劇場への覚悟はあるか”という特集の6/8発売『フットボール批評issue28』から、「Jリーグの行動力学」と題した村井満チェアマンの“判断基準”に迫ったロングインタビューを発売に先駆けて一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(取材・文:吉沢康一)

text by 吉沢康一 photo by Getty Images

“国民の健康を大切にする”これが1番目です

村井満
【写真:Getty Images】

――Jリーグの体力の根幹にDAZNがあるのであれば、多くのファンが「どのくらい試合をこなさないと契約が履行できないのか」と非常に心配しています。Jリーグも感染を拡大させないために休むのか? 経済のためには試合をやらざるを得ないのか? まるで社会構造のようでもありますが、経済の部分はいかがでしょう。

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村井 おそら2つがコンフリクト(対立)する内容ですよね。今、政府、社会、スポーツ界もそうだと思うのですが、国民の健康をしっかり守ること。そこに貢献してスポーツ文化をしっかり守っていくこと。この両輪を同時に成立させなければいけません。我々としてはプライオリティをつけたつもりです。

 一番早いタイミングでいくつかの順番を決めていて、Jリーグ理念には、川淵さん(初代チェアマン)が書いた2番目に“国民の心身の健全な発達への寄与”“豊かなスポーツ文化の振興”という一文があります。私のようにサッカー界の外から来た人間は、クラブの経営も知らないし、監督や選手の経験もない。JFAやJリーグで働いたこともなかったので、就任時にこのJリーグ理念に資すること以外はやらないと決めていました。

 判断に迷ったらこの理念に近づくものであればGOをする。そうではないものはやめると判断してきたつもりです。嘘でも何でもなく、私のような経験もない人間がチェアマンをやる時、背骨になる判断基準を持たないと、とてもできるような世界ではありません。

 ですから、Jリーグ理念をどれだけ眺めたのかわからないのですが、今回は意思決定する時に迷ったら“国民の健康を大切にする”これが1番目です。2番目がその中において“スポーツ文化を守る”と。3番目に“ファン、サポーターとともに”を入れています。

1番、2番を守るために無観客試合もあるかもしれない

 スポーツ文化を分解していくと、100%すべての人にあまねく享受できる科学的技術の進展などを文明と言ったりします。例えば水蒸気などは誰彼の隔てなく全員に享受できるテクノロジーの進歩じゃないですか。けれども、文化は強制するものではなくて、心の中で何百年も前に歌舞伎を観た人が『いいね』と思った、その主観が集合して長い年月続いた時に、それが文化になると言われたりします。

 文明は客観的な存在であり、文化とは極めて主観的なものです。Jリーグが始まってからのこの27年間、サッカーを『いいね』と思ってくれる人たちが非常に増えてきています。特にサッカーは点数が少ない競技なので本当に最後のサポーターのひと押しで、コンマ1秒早くDFが触ればクリアになるし、コンマ1センチ足が伸びてFWが先に触ればシュートにもなる。

 そういう意味ではサッカーは瞬間に反応できるかによって結果が変わってくる。そこにおいてファン、サポーターは極めて重要で、そういう人たち一人ひとりの主観に訴えかけるものがスポーツ文化なのだろうなと思ったのです。

 ですから、やはり“ファン、サポーターとともに”が3番目のプライオリティにあります。この1番、2番 、3番の順番も、場合によって1番、2番を重視した時に無観客でやらなくてはいけない状況がくるかもしれません。けれども、私がギリギリまでファン、サポーターとともにと言ってきたのは、できれば1番、2番、3番の順番で頑張り続けたい、そういう思いの表現だったのです。

 3番目が受け入れられない時には、1番、2番を守るために無観客試合もあるかもしれない。判断基準そのものを比較的早く定めておいたことが、スピードある意思決定ができるバックボーンになったのかもしれません。

(取材・文:吉沢康一)

Jリーグの村井満チェアマンは今回のコロナウイルス問題をどう見ているのか。貴重なインタビュー全編は本誌で。詳細は↓をクリック。

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『フットボール批評issue28』


定価:本体1500円+税

<書籍概要>
 とある劇作家はテレビのインタビューで「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではない」と言った。この発言が演劇とスポーツの分断を生み、SNS上でも演劇VSスポーツの醜い争いが始まった。が、この発言の意図を冷静に分析すれば、「スポーツはフレキシビリティが高い」と敬っているようにも聞こえる。

 例えばヴィッセル神戸はいち早くホームゲームでのチャントなど一切の応援を禁止し、Jリーグ開幕戦のノエビアスタジアム神戸では手拍子だけが鳴り響いた。歌声、鳴り物がなくても興行として成立していたことは言うまでもない。もちろん、これが無観客となれば手拍子すら起こらず、終始“サイレントフットボール”が展開されることになるのだが……。

 しかし、それでもスタジアムが我々の劇場であることには何ら変わりはない。河川敷の土のグラウンドで繰り広げられる名もなき試合も“誰かの劇場”として成立するのがスポーツ、フットボールの普遍性である。我々は無観客劇場に足を踏み入れる覚悟はできている。

詳細はこちらから

【了】

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