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日本代表 4年前

日本代表センターバックの系譜。井原正巳から吉田麻也まで、W杯で強豪国のFWに対峙したDFたち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

南アフリカW杯

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カメルーン戦の先発メンバー

監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号22:中澤佑二(横浜F・マリノス)
生年月日:1978年2月25日(32歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

背番号4:田中マルクス闘莉王(名古屋グランパス)
生年月日:1981年4月24日(29歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

 日本代表監督に就任したイビチャ・オシムは、初陣で田中マルクス闘莉王を代表デビューさせている。坪井慶介と闘莉王を中心に、3バック採用時は愛弟子の阿部勇樹が最終ラインに組み込まれることが多かった。

 ドイツワールドカップ後に代表引退を表明していた中澤は2007年2月に代表に復帰。6月のリーグ戦で闘莉王が左膝内側靭帯を損傷したため、翌月のアジアカップでは阿部と中澤が全試合に先発した。その後、オシムは病に倒れて岡田武史監督が緊急登板し、闘莉王も復帰すると、代表での出番が減った坪井は08年2月に代表引退という決断を下している。

 アジア最終予選では中澤と闘莉王のコンビが不動の存在になった。中澤はキャプテンマークを巻いてチームを牽引し、闘莉王は2ゴールを挙げてワールドカップ出場権獲得に貢献している。しかし、ワールドカップイヤーの10年に入って日本代表は不振に陥る。東アジアサッカー選手権で韓国に惨敗、本大会直前の強化試合で4連敗を喫すると、岡田監督はゲームキャプテンを中澤から長谷部誠に変更する決断を下した。

 本大会には中澤と闘莉王をはじめ、岩政大樹と阿部勇樹、今野泰幸が選出された。内田篤人に代わって右サイドバックに抜擢された今野は直前のテストマッチで負傷、阿部はシステム変更に伴ってアンカーでプレー。中澤と闘莉王は全試合でフル出場した。

 初戦のカメルーン戦に勝利した日本代表はオランダに0-1で敗れたが、デンマークから3得点を奪って勝利。ロビン・ファンペルシー、ニクラス・ベントナー、ロケ・サンタクルスといった欧州で活躍するストライカーからゴールを許さなかった。パラグアイとのラウンド16は無失点に抑えたが、PK戦の末に敗退。大会前に掲げたベスト4という目標には届かなかった。

●カメルーン戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都

▽MF
阿部勇樹
松井大輔
長谷部誠
遠藤保仁
大久保嘉人

▽FW
本田圭佑

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