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日本代表 4年前

日本代表、背番号4の系譜。「アジアの壁」から本田圭佑まで、チームの柱となった選手たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

南アフリカW杯

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パラグアイ戦の先発メンバー



監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号4:田中マルクス闘莉王(名古屋グランパス)
生年月日:1981年4月24日(29歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

 16歳でブラジルから来日した田中マルクス闘莉王は、2003年に日本国籍を取得する。同年からU-22日本代表でもプレーして、翌年のアテネ五輪でもグループステージ3試合に出場した。

 DFでありながら時折見せるオーバーラップや、強靭なフィジカルを武器にしたセットプレーからゴールを重ねた。04年に移籍した浦和レッズでは、04年の2ndステージ優勝、翌年の天皇杯優勝にチームを導いたが、ジーコ監督率いる日本代表には呼ばれず、「アテネ経由ドイツ行き」は叶わなかった。

 ドイツワールドカップ後にイビチャ・オシムが日本代表監督に就任して間もなく、闘莉王は代表デビューを果たした。オシム監督は07年11月に病に倒れてしまうが、後を継いだ岡田武史監督の下、センターバックは中澤佑二と闘莉王のコンビが不動の存在となっていった。

 南アフリカワールドカップでは、大会直前にシステムが4-2-3-1から4-1-4-1に変更された。闘莉王と中澤の2センターバックを中心に、楢崎正剛に代わってGKに抜擢された川島永嗣、アンカーの阿部勇樹、サイドバックの駒野友一と長友佑都からなる守備陣は鉄壁のディフェンス力を誇った。

 日本代表はカメルーン戦を1-0でものにしたが、オランダ戦は最少失点に抑えながらも惜敗した。それでもデンマーク戦はPKによる1失点に抑えてグループステージ突破を決めている。パラグアイとのラウンド16は無失点に抑えたものの得点することができず、PK戦の末に敗れた。

 闘莉王は中澤とともに相手のクロスを跳ね返し続け、身体を投げ出して相手の決定機を防いだ。4試合を2失点で切り抜けたディフェンス陣の奮闘なくして、2大会ぶりの決勝トーナメント進出は成し遂げられなかっただろう。

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