背番号7を巡るストーリー
映画の邦題は「荒野の七人」。黒澤明監督の「七人の侍」を西部劇にしたジョン・スタージェス監督の大ヒット作だ。近年のリメイクは原題どおりの「マグニフィセント・セブン」になっている。“壮大なる7”は、マンチェスター・ユナイテッドの背番号7の愛称になった。
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最初に7番を有名にしたのがジョージ・ベストだ。このころはポジション番号制だったので、ベストは11番、10番、8番といろいろな背番号をつけていたのだが、印象が強いのは7番のベストだった。7番はブライアン・ロブソンに受け継がれ、エリック・カントナがこの番号を伝説にした。
カントナの7番を受け継いだのはデイビッド・ベッカム。ユース時代にカントナの個人練習につき合わされてクロスボールを蹴っていたところを、アレックス・ファーガソン監督が監督室から見ていてトップに抜擢したというエピソードがある。ベッカムの正確無比なクロスはユナイテッド黄金時代の象徴となった。
ベッカムがレアル・マドリードに移籍すると、入れ替わりに入団してきたクリスティアーノ・ロナウドが7番をつけた。スポルティング・リスボンから来た18歳への期待の大きさがうかがえる。ただ、ロナウドがすぐにユナイテッドのエースになったわけではない。
ウイングとしてキレのあるドリブルを披露したものの、評価が確定したのは得点を量産しはじめてからだ。体格も見違えるように逞しくなり、足でも頭でも、FKでもミドルでも、ありとあらゆる形からゴールを狙えるようになり、ユナイテッドのエースとして2000年代の栄光を築いた。
しかし、ロナウドがレアル・マドリードへ移籍した09/10シーズンから7番の系譜は途絶えてしまっている。ロナウドの後に7番をつけたマイケル・オーウェンはすでに全盛期を過ぎていて、バレンシアには荷が重すぎた(1シーズンで元の25番に戻っている)。7番の似合うアンヘル・ディ・マリアはユナイテッドでは輝かず、メンフィス・デパイも期待外れに終わる。直近ではベテランのアレクシス・サンチェスがつけたが、マグニフィセントな7番が現れていないのは失速の象徴といえるかもしれない。
サー・アレックス有終の美
12/13シーズン、ユナイテッドはボルシア・ドルトムントで活躍していた香川真司を獲得した。かつて7番を背負ったブライアン・ロブソンは、香川が7番を要求しなかったことに対して「非常に正直な人間だとわかった」とコメントしているので、チームは香川に7番のシャツを用意するつもりがあったのだろう。
また、ロブソンは「複数のポジションができる」と言っているが、これは正しくない。香川はトップ下専用の選手である。ユース時代はボランチでプレーし、日本代表では左サイドなのでそう思ったのかもしれないが、ポジションがどこでも、DFとMFの隙間の「間受け」に特化した選手といっていい。ファーガソン監督は承知していたはずだ。
UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバルセロナに2度敗れた。ファーガソンは「彼らは一晩中パスを回し続けられる」とバルサを称賛している。バルサと伍していくには狭いスペースでプレーできる選手が必要だと痛感したに違いない。香川はユナイテッドにいないタイプの補強と考えられる。ただ、このシーズンの意中の人は他にいた。ファーガソン監督はプレシーズンマッチをすっぽかして交渉にあたり、ロビン・ファン・ペルシーを獲得している。
香川を起用してユナイテッドにバルサ風のプレーを導入する実験は上手くいかなかったが、ファン・ペルシーは期待に応えてゴールを量産し、アーセナル時代に続いて2シーズン連続の得点王に。ファーガソン監督は13回目のリーグ優勝(クラブとしては20回目)を成し遂げて勇退した。
ファーガソンは、まさに余人をもって代え難い監督だったが、この20年余のユナイテッドの強さからいって、まさかこれ以降プレミアリーグタイトルから遠ざかるとは誰も思わなかっただろう。
【了】