「これしか戦い方を知らないからだよ」
なぜ、その戦術なのか。
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そう問えば、ほとんどの監督は「勝つためにそうしている」と答えるだろう。確かに、戦術は勝つための方策なのでそれ以外の答えはないはずだ。
しかし、よく考えてみるとそれだけではないように思える。およそ合理性があるようには思えない戦術を採用しているケースは珍しくないからだ。
マウリシオ・ポチェッティーノが初めて監督に就任したのはエスパニョールだった。そして就任直後にはバルセロナ・ダービーが控えていた。ペップ・グアルディオラ監督が率いていて、チャビ、メッシ、イニエスタらがプレーしていた黄金時代ど真ん中のバルセロナである。バルセロナ戦までのトレーニングは2回ほどしかなかったそうだ。
ポチェッティーノ新監督は、エスパニョールの選手たちに対バルサ戦略を説明してトレーニングを開始したのだが、話を聞いた選手たちは不安でいっぱいだったに違いない。ポチェッティーノは前線からプレスをかけていく戦い方をすると明言したからだ。ところが、無謀にしか思えない戦術のエスパニョールはバルセロナに0-0で引き分けた。
「なぜ、勇敢な戦術を採用したのですか?」
記者がポチェッティーノに尋ねると、答えは極めてシンプルだった。
「これしか戦い方を知らないからだよ」
そして、ポチェッティーノはこうつけ加えている。
「フットボールには人生が表れる。勇敢な人生をゆくなら、勇敢なフットボールをやるほかにはなく、私は勇敢でありたいと思っている」
フットボールが人生で、人の生き方ならば、選択肢はたくさんあるようにみえて、そうでもないのだろう。結局はこう生きたいと思ったとおりに生きるしかない。もちろん監督は勝たなければならないが、勝敗の行方は誰にもわからない。であれば、せめて生きたいように生きる。そもそも、簡単に生き方を変えられるほど人間は器用ではないのだろう。
(文:西部謙司)
【了】