ディ・ステファノの系譜を継いだヨハン・クライフ
【写真:Getty Images】
CFのプレーメーカー化は必然的に前線におけるポジションの流動化を促す。その意味で、全員攻撃全員守備のローテーションを特徴の1つとするトータルフットボールのトリガー機能になった。
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ただ、フットボールが英国からヨーロッパ大陸へ伝えられた時点で、CFのタイプはやや異なっていたとも考えられる。英国では大柄で馬力のある戦車タイプが典型的なCFだったが、ヴンダーチームのマティアス・シンデラーは「紙男」なのだ。
細身の技巧派であり、英国系とは全くタイプが違う。通算1329ゴール(1239点説もある)、ブラジル最初のスーパースターであるアルトゥール・フリーデンライヒもスマートな体躯のCFだった。こちらも〝ジョガ・ボニート〞(美しいプレー)の技巧派である。
ペデルネーラが元祖というよりも、同じようなタイプのCFはすでにいたのだろう。ただ、そのころの守備は2バックであり、CFが後退する戦術的な効果を狙ったわけではない。
ペデルネーラの直接の後継者はアルフレード・ディ・ステファノだ。言わずと知れたフットボール史上最高クラスの巨人。ディ・ステファノはリーベルの右ウイングとしてデビューし、ウラカンに貸し出された後、リーベルに戻ってペデルネーラのポジションを奪いとった。
ペデルネーラはもともとインナーであり、ディ・ステファノもウイングとオリジナルのポジションはCFではない。ディ・ステファノはペデルネーラがプレーイング・マネジャーを務めるコロンビアのミリョナリオスへ移籍し、さらにスペインのレアル・マドリーへ渡ってチャンピオンズカップ5連覇など、史上に大きな足跡を残すことになる。
ディ・ステファノが活躍したのとほぼ同時期には、マジック・マジャールと呼ばれたハンガリーでナンドール・ヒデクチが「偽9番」として有名だった。
この系譜でディ・ステファノを継いだのが年代にトータルフットボールの中心となったヨハン・クライフである。クライフは実際、「ディ・ステファノの再来」と新聞や雑誌で紹介されていた。70年ワールドカップで優勝したブラジルのCFトスタンも「偽9番」といえる。このあたりまでが、いわばナチュラルな「偽9番」だろう。
ファルソ・ヌエベをシステムとして消化させたのは、この役割の大立者だったクライフだ。
(文:西部謙司)
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