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サッカーとは、まるで集団暴動だった…。拳を振り回し、蹴りを入れた時代からの進化【トータルフットボールの源流(2)】

クライフ、サッキ、グアルディオラ、ジダン…強く美しい戦術はどのような系譜をたどり、いま、まさに究極の戦術が生まれようとしているのか? トータルフットボールの進化という大河の源流と革新を綴る濃密な戦術ガイド本『サッカー戦術クロニクル ゼロ』から、一部抜粋して公開する。(文:西部謙司)

text by 西部謙司 photo by Getty Images

フットボールの原型は荒々しいものだった

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【写真:Getty Images】

 フットボールの起源は古代中国に遡る。やがてヨーロッパに伝わると、市街戦のようなものとして一般化した。外交官トーマス・エリオットは1531年に「獣のように凄まじく、猛烈に乱暴なもの以外のなにものでもない」と記している。

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 英国ではたびたび禁止令が発布された。1865年、米国の南北戦争当時に行われたフットボールを描いた絵があるが、集団暴動にしか見えない。男たちが押し合いへし合いしながら、拳を振り回し、あるいは蹴りを入れている絵図なのだ。FAのルールが届いたのが10年後だったからだろう。

 フットボールの原型は非常に荒々しいものだった。FAがハッキングとハンドリングを禁止し、ゴールキック、スローイン、オフサイドなどの今日に通ずるルールを規定していっても、フットボールが依然として肉弾戦ありきの体力任せだったことは想像に難くない。その中で、ショートパスを使った技術と頭脳を駆使する戦い方は異端だったに違いない。

 クラブチームのコンペティションであるFAカップは、南部のパブリックスクール、その出身者による“ジェントルマン”のチームが当初優勢だった。しかし、次第にイングランド北部のチームが台頭してくる。

 スコットランド人労働者の製粉工場のチーム(ダーウェン)が活躍し、ブラックバーン・ローバーズは8年間で5回優勝の快挙を達成。北部のチームには実質的なプロ選手が存在し、その多くはスコットランド人だった。

英国人によって広められたフットボール

 FAはプロ選手の締め出しを行ったが、逆に有力クラブが相次いでFAカップを棄権する事態になり、1885年にはついにプロを公認している。公認しなければ北部はブリティッシュ・フットボール協会という新団体を立ち上げるところだったので、FAは分裂を回避するために譲歩したのだった。

 プロ化されれば選手に給料を払わなければならない。FAカップだけでは試合数が足らないので、1888年にリーグ戦が開催されるようになる。プレースタイルも洗練されていった。

 時は19世紀の終わり、大英帝国の拡大とともにヨーロッパ各地に英国人街が出現している。オーストリアの首都ウィーンはその1つで、英国のガス会社が街灯を設置し家庭用のガス供給を行っていた。イタリアでも英国人によるフットボールクラブ設立が相次ぎ、ドイツや北欧、さらに南米にもフットボールは英国人によって広められていった。

 フットボールは英国からもたらされたスポーツだから、指導者が英国人だったのは自然といえる。

 有名な英国人指導者としては、アーセナルのプレーヤーでスコットランド代表だったジョン・ディックが1922年にチェコスロバキアのスパルタを指導している。やはりスコットランド代表のGKだったジョン・マッドンはスラビアの監督を30年以上務めた。ジミー・ホーガンが生まれ故郷のランカシャー州を出て、大陸へ渡ったのもそうした英国人指導者への需要があったからだ。

(文:西部謙司)

9784862554130

『サッカー戦術クロニクル ゼロ』


定価:本体1500円+税

<書籍概要>
単に選手のポジションを交換するからトータルフットボールなのではなく、パスワークのスタイルを貫いた結果、ポジション互換性が必要になってくる。つまり、パスワークこそがトータルフットボールの源ということがみえてきます。(中略) パスワークとプレッシング。この2つをトータルフットボールの成立要件と仮定して、過去から現在に、そして現在から未来へ、トータルフットボールをキーワードに戦術史を紐解いていきたいと思います。 (本書「プロローグ」より抜粋)

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【了】

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