宿命のライバル
ジョゼ・モウリーニョはかつて“影”だった。ペップ・グアルディオラがバルセロナのスター選手としてスポットライトを浴びていた1990年代後半、ボビー・ロブソン監督とルイス・ファン・ハール監督の傍らで通訳として働いていた。
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だが、このポルトガル人はただの“影”ではなかった。通訳として多言語を操るのみならず、鋭い対戦相手の分析や戦術のアドバイスを指揮官にもたらすアシスタントとしての役割も果たしていたのである。そして、のちに独り立ちして指導者としてのキャリアを積み重ね、ポルト、チェルシーと渡り歩いてイタリアの名門インテルにたどり着く。
一方、グアルディオラも2008/09シーズンからバルサのトップチームの指揮を任されるようになり、1年目にラ・リーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ(CL)の三冠を達成。一躍、世界的な名将として名を馳せるようになり、2009/10シーズンのCLのグループリーグでモウリーニョ率いるインテルと初めて相対する。
この頃から永遠のライバルとして語られるようになる2人は、少し前にもすれ違っていた。フランク・ライカールトが退任したバルサが新監督を選ぶ際、取締役会が後任に推したのはモウリーニョだった。しかし、当時のジョアン・ラポルタ会長はBチームで好成績を残していたグアルディオラを後押しし、半ば強行的にライカールトの後任に据えたのである。
常に光と影のような関係だったグアルディオラとモウリーニョ。監督として初対戦だったグループリーグ初戦は0-0のドローに終わり、2度目の対戦は2-0でバルサが勝利する。その後、バルサもインテルも揃って決勝トーナメントに進み、準決勝で再び顔を合わせることになった。
2010年4月20日。インテルの本拠地サン・シーロで行われた1stレグは、近年のCLで屈指の名勝負となった。「創造」と「破壊」という壮大な哲学の衝突が生み出した90分間を終えた時、モウリーニョは向かうところ敵なしだったグアルディオラのバルサをついに打ち破ってスポットライトを浴びた。
モウリーニョが築いたメッシ専用「監獄」
アウェイに乗り込むカタルーニャの一行は、試練に晒されていた。2010年3月に始まったアイスランドでの火山噴火が4月14日になって強まり、4月18日には火山灰がスペイン上空にも到達。欧州全土で多くの航空便が欠航した影響をもろに受けてしまった。
UEFAはミラノでのインテル戦を延期しなかったため、バルサは過酷な移動を強いられたのである。試合2日前の午後にバルセロナを出発し、バスで1000km以上の道のりを約8時間かけて移動してニースに投宿。なんとか運行している航空便を使って試合前日にミラノ入りする羽目になった。だが、これは敗戦の直接的な原因ではない。
モウリーニョが緻密に組み上げ、チームに落とし込んだバルサ対策が、3-1という衝撃的なスコアにつながったのだ。のちに『The Coaches’ Voice』が公開した動画の中で、ポルトガル人指揮官はリオネル・メッシを常に孤立させることが肝だったことを明かしている。「コンビネーションのアイディアは全てメッシを自由にやらせないことを基本にしていて、プレスについてイタリア語で言うなら『ガッビア』だ」と。
日本語に訳すと「監獄」という意味になる。文字通りメッシはサン・シーロで監獄に閉じ込められた。モウリーニョはあらゆる危険な場面がメッシによって作り出されることを知っていた。
用意した布陣は4-2-3-1だ。まずセンターバックのルシオとワルテル・サムエルでバルサの1トップを担うズラタン・イブラヒモビッチを引きつけ、左サイドバックには対面にメッシが来ることを想定してハビエル・サネッティを置いた。そしてバルサの右の矢、ダニ・アウベスを封じるために、左サイドには攻守に献身的に働けるゴラン・パンデフを配置する。
一方、バルサは相手右サイドバックのマイコンの攻め上がりを抑えるため、左サイドに本来はセントラルMFのセイドゥ・ケイタを起用。主に左ウィングを務めてきたペドロを右サイドに回して、メッシを最初から中央に据える4-2-3-1を採用していた。
ところが、このグアルディオラの決断はモウリーニョの思う壺だった。そもそもバルサの10番が右から中央の危険なスペースに入り込んでくる動きを想定していたインテルは、バイタルエリアの管理をエステバン・カンビアッソとチアゴ・モッタに託し、徹底マークさせていた。結果、2人に張りつかれた小柄なアルゼンチン人はほとんどの時間で試合から消されてしまう。
バルサを陥れるための罠
ボールを握ってインテルを押し込むバルサは19分、シャビの絶妙なスルーパスで左サイドを破ったマクスウェルが深くまで侵入し、マイナスの折り返しを逆サイドからペナルティエリアに入っていたペドロに合わせて先制する。
ところが約10分後にあっさり追いつかれた。インテルはヴェスレイ・スナイデルが左から右に大きくサイドを変えるロングパスを通し、古巣対戦となったサミュエル・エトォが落としてサポートに入ったマイコンがキープして、右に開いたエトォに預ける。
グアルディオラとの確執が騒がれたカメルーン代表FWは、マクスウェルの寄せが甘いと見るやワンタッチでゴール前にグラウンダーの速いパスを入れた。それをディエゴ・ミリートがキープして左に展開。ペナルティエリア内に侵入してフリーになっていたスナイデルが詰めて1-1とした。
そして何より、モウリーニョの狙いが完璧に表現されたのが後半開始早々の48分に決まった逆転ゴールだった。
「彼らを傷つける構造は、ボールを奪った瞬間、守備から攻撃への切り替えにあったのは明らかだった。バルサはビルドアップの段階でダニ・アウベスとマクスウェルを大きくサイドに開かせ、かなり前進させる。その後ろには大きなスペースができる」
左サイドでメッシからボールを奪ったインテルは、サネッティから即時の縦パスでカウンターに移ると、パンデフがバルサのプレッシングを剥がして一気に相手陣内まで運んでスルーパスでミリートを走らせる。ペナルティエリア右に出たベテランストライカーは、内側に走り込んでいた褐色の選手にラストパスを通した。
ゴール前に走り込んでいたのはエトォかと思いきや、右サイドバックのマイコンだったのだ。内側に絞りすぎていたバルサの左サイドバック、前シーズンまでインテルに在籍していた旧知のマクスウェルの背後を取って崩し切った。無尽蔵のエネルギーを体内に秘めたブラジル代表DFが指揮官の狙いを完結させた。モウリーニョも「マイコンはあの夜、右サイドのスペースを突くことにおいて途轍もない怪物だった」と絶賛する。
「チームはアイディアのパズル」
61分のインテルの3点目もカウンターからだった。マイコンが敵陣内で突破を仕掛けて一度はボールを奪われたが、チアゴ・モッタがすぐさま果敢なタックルで奪い返し、右のエトォにつなぐ。そしてカメルーン代表FWのクロスをスナイデルが頭で折り返し、最後はミリートが詰めた。バルサにとっては度々破られていた左サイドの守備を補強すべく、エリック・アビダルの交代を準備していた矢先の失点だった。
インテルがリードを2点に広げた直後、イブラヒモビッチはシュートを1本も打てないまま交代に。「監獄」に閉じ込められたメッシもほとんど何もできないまま試合終了の笛を聞いた。
その後、インテルはアウェイでの準決勝2ndレグを0-1で落としたものの、2戦合計スコアで3-2とバルセロナを上回ってCL決勝に進出。マドリードで行われた決勝ではバイエルン・ミュンヘンを2-0で一蹴し、45年ぶりのCL制覇を成し遂げた。さらにセリエA5連覇、コッパ・イタリア優勝も重ねて三冠を達成することになる。
守備的なスタイルに見られがちだが、相手の強みを「破壊」する攻撃的な哲学と卓越した人心掌握術で頂点を極めたモウリーニョは、黄金期を築いたインテルの監督を2009/10シーズン限りで退任。すぐに導かれるようにしてレアル・マドリーへと赴いた。
「ボールを持たないチームも支配的になれる。支配的であるというのは、試合をコントロールできているということだ」とモウリーニョは『The Coaches’ Voice』で語った。「ボールを持っている時、ボールを持っていない時、ボールを奪った時の切り替え、ボールを失った時の切り替え…トップレベルのチームは4つの全ての局面で強い」とも。
「ボールを持つだけのチームは勝てない。ボール保持に優れているチームは、同時に守備への切り替えにも長けている。逆に非常に守備的なチームでも、それだけなら常に負け続けるだろう。優れたボール奪取力を兼ね備え、その後に何をするかも理解していれば非常にいいチームだと言える。チームというのはアイディアのパズルなんだよ」
相手のキーマンを潰す守備、ボールを奪ってからゴールに向かうまでのプランニング、カウンターの精度、そして与えられた策を経験豊富で成熟した選手たちが忠実にこなす。全てのピースがハマって1枚の「パズル」が完成したからこそ、インテルはバルサを打ち破ることができたのだった。
モウリーニョとグアルディオラは、同じバルセロナにルーツを持ちながら、全く異なるアプローチでチーム作りをする。「破壊」と「想像」を象徴するように対局的だからこそ、両者のぶつかり合いは極上のエンターテインメントを生み出すのだろう。彼らはあのサン・シーロでの一戦から10年経った今でも、変わらず宿命のライバルであり続ける。そして、これからも。
(文:舩木渉)
【了】