横浜マリノス/横浜F・マリノス(95年〜02年夏)
2000シーズンの基本先発メンバー
【リーグ戦成績】
1997年:27試合出場5得点
1998年:33試合出場9得点
1999年:26試合出場7得点
2000年:30試合出場5得点
2001年:24試合出場3得点
2002年:8試合出場4得点
桐光学園高校から全国高校サッカー選手権準優勝の経歴を引っさげて、ジュニアユース時代まで過ごしていた横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入したのが1997年。中村俊輔は1年目から主力に定着し、Jリーグ優秀新人賞を獲得するなど、順調にスターへの階段を上っていく。
1999年からはクラブが横浜フリューゲルスを吸収合併して「横浜F・マリノス」に変わり、中村も背番号を「10」に変更。リーグ戦では26試合出場7得点の成績を残し、初めてJリーグベストイレブンに輝いた。
続く2000年はU-23日本代表としてシドニー五輪に出場し、日本代表デビューも飾る飛躍の1年に。オズワルド・アルディレス監督が就任したマリノスは5年ぶりに1stステージを制した。チャンピオンシップでは2ndステージを制した鹿島アントラーズに敗れて惜しくも優勝は逃したが、中村の年間を通した活躍は目覚ましく、史上最年少22歳でJリーグ年間最優秀選手賞を受賞した。
2001年は苦しかった。三浦淳宏やユ・サンチョルが退団したマリノスは低迷し、1stステージ途中でアルディレス監督が解任される。前年にチャンピオンシップで優勝を争っていたチームは年間13位に転落し、中村自身も前年度の年間MVPとして期待されたほどのパフォーマンスを見せられず、日本代表から遠ざかった時期もあった。
2002年は、足首に負傷を抱えた上日韓ワールドカップ出場を逃すなど中村にとって厳しい前半戦となった。それでも夏に欧州へのステップアップを決断する。Jリーグでは屈指のスター選手に成長していた24歳は、日本サッカー界の期待を一身に背負ってイタリア・セリエAのレッジーナへと挑戦することになった。
●2000シーズンの基本先発メンバー
▽GK
川口能活
▽DF
波戸康広
松田直樹
小村徳男
▽MF
永井秀樹
上野良治
遠藤彰弘
三浦淳宏
中村俊輔
▽FW
エジミウソン
柳想鐵