岡田武史
2010年南アフリカワールドカップの基本先発メンバー
突然の病に倒れたオシム監督からバトンを受け取った岡田武史監督は、日本代表の中心に中村を据えた。中田英寿との2枚看板だったジーコジャパンの頃よりも、背番号10のファンタジスタは絶対的な存在としてサムライブルーの中心に君臨していた。
風向きが変わり始めたのは南アフリカワールドカップのアジア地区予選を突破した後、2009年夏以降だ。ワールドカップを1年後に控えてセルティックからスペインのエスパニョールへ移籍したのも、結果的には失敗だった。
当時オランダ1部のVVVフェンロに在籍していた本田圭佑が急速に台頭し、2009年9月のオランダ戦で本田と中村がフリーキックのキッカーを巡って衝突したことは大きな話題となった。その後、中村はエスパニョールで出場機会を得られずにパフォーマンスを落としてしまう。
2010年2月に横浜F・マリノスに復帰してからも、足首の怪我もあってなかなか状態が上がらず。同年5月に行われた韓国戦で、痛みを抱えながら先発出場した中村は満足のいくプレーができないまま後半の早い時間帯に交代。日本代表も0-2で宿敵に敗れる結果となった。この試合の1ヶ月前にもセルビアに0-3の完敗を喫し、ワールドカップ本大会に向けて不安が募っていたところだった。
岡田監督は日本を離れてからの直前合宿で、戦い方をガラッと変えた。それまでの前線からのプレッシングを重視したアグレッシブな戦術から、いわば「ワールドカップ仕様」とも言える守備的な戦術にシフトした。その過程で中村は長年守り続けてきた日本代表でのレギュラーポジションを失った。
南アフリカでのワールドカップ本大会が始まると、岡田監督はアンカーに阿部勇樹を起用して守備的な4-1-4-1の布陣を敷き、本田を1トップに据える奇策を披露。一方で中村の定位置はベンチになっていた。
千載一遇のチャンスを得た本田はグループリーグ初戦のカメルーン戦の決勝ゴールを皮切りに、第3戦のデンマーク戦では強烈な左足フリーキックを叩き込むなど躍動。日本代表にとって2大会ぶりの決勝トーナメント進出に大きく貢献し、自らの立場を確立していった。
その過程で、中村に与えられた出場機会はオランダに敗れたグループリーグ第2戦の後半途中からのみ。この1試合がラストゲームとなり、南アフリカワールドカップ後に中村は日本代表からの引退を表明した。
●2010年南アフリカワールドカップの基本先発メンバー
▽GK
川島永嗣
▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都
▽MF
阿部勇樹
長谷部誠
遠藤保仁
松井大輔
大久保嘉人
▽FW
本田圭佑
【了】