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日本代表 5年前

中村俊輔、日本代表歴代ポジション。トルシエ、ジーコ、岡田武史…00年代を彩ったファンタジスタの歩み

日韓ワールドカップ直前でメンバーから漏れ、南アフリカワールドカップでは直前でポジションを失った。中村俊輔の日本代表でのキャリアは山あり谷あり、デビューからの11年間で積み重ねた98試合には様々な物語が詰まっている。2000年代をけん引した稀代のファンタジスタの日本代表での活躍を、歴代指揮官や共に戦ったメンバーとともに振り返っていく。

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

フィリップ・トルシエ

中村俊輔
2000年アジアカップの基本先発メンバー

 プロ3年目の1999年にJリーグで当時最年少となる年間最優秀選手賞を受賞した中村俊輔は、翌年2月に行われたアジアカップ予選のシンガポール戦で日本代表デビューを飾った。

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 1998年に初めて日本代表合宿に招集されていたが、なかなかデビューの機会は訪れず。シドニー五輪を目指すU-23日本代表の中心選手になり、その本大会直前にA代表のユニフォームをまとっての試合出場が叶った。

 そして2000年10月にレバノンで開催されたアジアカップで、主要国際大会にデビュー。主に3-5-2の左ウィングバックとして6試合中5試合に出場。個人としても大会ベストイレブンに輝く活躍を見せ、日本代表にとって2度目のアジア制覇に大きく貢献した。

 ただ、トルシエジャパンにおいて中村の地位は必ずしも絶対的ではなかった。2001年3月のフランス戦に先発出場するも、前半のみのプレーに終わり、日本代表も0-5の大敗を喫する。この「サン・ドニの悲劇」と呼ばれるようになる一戦の後、所属していた横浜F・マリノスが残留争いに巻き込まれてパフォーマンスを落としたこともあって、一時期代表から遠ざかることになる。

 とはいえ2002年日韓ワールドカップへの招集は有力と見られていた。日本代表ユニフォームの広告塔にも起用されていたこともあり、国内屈指の実力者という評価は揺るがなかった。しかし、最終的には同年5月に負った足首の怪我の状態が思わしくなく、フィリップ・トルシエ監督が選んだワールドカップに向けた最終メンバー23人から漏れる結末に。

 初のワールドカップ出場は逃したものの、日本代表が史上初の決勝トーナメント進出を果たした大会後にイタリア・セリエAのレッジーナへと移籍を果たすことになる。

●2000年アジアカップの基本先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
松田直樹
森岡隆三
服部年宏

▽MF
明神智和
稲本潤一
名波浩
中村俊輔
森島寛晃

▽FW
西澤明訓
高原直泰

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