「再び日本に来て、改めてこちらの方が楽だと感じています」
韓国での現役時代は、一方的に命じられ走らされて来たという。
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「韓国の選手たちは、概して大きくて強い。その中で私は身長が低かったので、頭を使いテクニックを身につけなければ生き残れませんでした。幸運だったのは、プロになった最初のチームでロシア人の監督に出会えたことです。Jリーグへ来た一番の理由は、Kリーグとの環境の違い。サッカーのスタイルは二番目の理由ですが、やはり私のプレーは日本の方に適していたことになりますね。ただだからといって韓国サッカーに適合しなかったわけではありませんよ」
やがて日本でS級ライセンスを取得し、指導者に転身して最大の変化は「口数が増えた」ことだった。
「説明も聞かず目的もわからず走らされて来て、引退した時に多くのことに気づきました。指導者は、なぜこのトレーニングが必要なのかを、しっかり説明し意識づけさせなければいけない。理解できない選手がいるなら、もっと説明に時間を割くべきです」
早朝からトレーニングを始めることにも、当然規律を徹底させる意図がある。
「若い選手たちは、私生活が不安定です。夜も寝ないでゲームをしたり、漫画を見たりしてトレーニングに集中できていないケースが多過ぎる。日本の多くの指導者は、プロなんだから本人の責任だと言いますが、それは違う。プロだからこそ余計にサッカーを中心に考える習慣を植えつけていかなければならない。個々が悪い道に逸れてしまわないように気を配り、正しい道を歩ませるのは指導者の重要な役割だと思っています」
C大阪では選手、監督ともに2年間ずつ、鳥栖での在籍期間は計9年間にも及んだ。鳥栖ではリーグ首位のまま監督の座を退き、C大阪でも一時リーグで首位に立ち、ルヴァンカップ、天皇杯の二冠をもたらしている。
「鳥栖では現役からコーチ、監督と長く在籍したので、日本の文化をしっかり理解し、様々なことをスムーズに吸収しました。個々の選手たちの長所、短所を把握し、モチベーションを上げることも出来た。もちろん運も味方してくれました。
逆に韓国からは10年間近くも離れていたので、初めて母国で蔚山現代を指揮した時は文化に溶け込めず、どんな選手がいるのかもわからず大変でした。こうして再び日本に来て、改めてこちらの方が楽だと感じています。今のところ、選手たちもしっかりと着いて来てくれていると思います。本当に信じているのかはわかりませんが(笑)」
ユン・ジョンファン監督への信頼の高さは、自ら「よく怒られるタイプ」だという米倉の言葉からも伝わって来る。
「トレーニングから緊張感が走り、昨年までとは比較にならないほどのカリスマ性を感じます。でも厳しい反面、根は凄く優しくて、たぶん愛情を持って接してくれている。それは僕が年齢を重ねたから、そう感じられるのかもしれませんけどね」
(取材・文:加部究)
▽ ユン・ジョンファン監督
1973年2月16日生まれ、大韓民国出身。2007年にサガン鳥栖で現役を引退後、同クラブで指導者の路へと進んだ。テクニカルアドバイザー、コーチ、ヘッドコーチを歴任したあと2011年から4シーズン監督を務めると、以後、蔚山現代FC、セレッソ大阪、ムアントン・ユナイテッドFCで指揮を執った。監督として2017JリーグYBCルヴァンカップと第97回天皇杯全日本サッカー大会を制している。2020年、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任した。
【了】