「大きな目標がある」
なかなか本音が伝わってこない。魔術師として存在感を放つピッチを離れれば、朴訥でシャイな人柄が前面に押し出されるからか。来日して3シーズン目になる稀代のプレーメイカー、ヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタが残すコメントには、どうしても優等生のニュアンスが漂っている。
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例えばJ1を戦う全18クラブの監督と、そのシーズンを代表する選手一人ずつが一堂に会する開幕前恒例のイベント、キックオフカンファレンス。2月14日に都内で開催された2020シーズンのそれに出席したイニエスタは、ユニフォームを身にまといながらこんな抱負を語っている。
「個人的な挑戦というものは変わらない。100%のプレーを続けられるように、ベストのコンディションを保ちながら身体をケアしていく。チームとしてはリーグ戦のタイトルと、今年はアジアチャンピオンズリーグという大きな目標もある。自分は日本という国に着いたときから、このプロジェクトにワクワクする思いを抱きながらプレーしてきた。いまは本当に日本での生活を楽しんでいる」
もっとも、節目を迎えたときに発してきた言葉をあらためて読み返すと、ともすれば見逃してしまいがちな、それでいて心境を端的に伝えているキーワードが散りばめられていることに気がつく。
「勝者のプロジェクト」
直近の代表的な例で言えば元日となるだろうか。新国立競技場の杮落としマッチとなった鹿島アントラーズとの天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝を2-0で制し、クラブ創設以来で初めてとなる国内三大タイトルのひとつをヴィッセルにもたらしてから数時間後だった。
歓喜のビールかけが行われた都内のホテルで、オーナーである楽天株式会社の三木谷浩史代表取締役会長兼社長、トルステン・フィンク監督、元日をもって引退した盟友ダビド・ビジャ、山口蛍、そして藤本憲明とともに会見に臨んだイニエスタは、こんな言葉を残している。
「このクラブに来て1年半ぐらいがたち、いい時期もあれば悪い時期もあったなかで、こうした形でタイトルを取れた。クラブがさらに成長していくための、重要な分岐点になると感じている」
世界的な名門クラブ、ラ・リーガ1部のFCバルセロナに次ぐ2つ目の所属クラブとなるヴィッセルでの日々をあらためて振り返ったとき、言うまでもなく「悪い時期」の方がはるかに長かった。イニエスタ自身にとっても、過去に経験したことがないような我慢を強いられたはずだ。
スペイン代表時代を含めて、イニエスタは国内外で通算35個ものタイトルを獲得してきた。キャリアのほとんどを占める、実に16シーズンも在籍してきたバルセロナで刻んできた軌跡を「勝者のプロジェクト、というものにずっと携わってきた」と表現したこともある。
生まれ変わった神戸
栄光の二文字に彩られたサッカー人生の第2章で待っていたのは、タイトル争いではなく残留争いだった。2018シーズンに5連敗、昨シーズンにも7連敗を味わわされたヴィッセルは、監督が交代するたびにクラブとして目指す方向性もぶれ、出口の見えないトンネルでさまよいかけた。
ターニングポイントは昨シーズンの後半に訪れた。イニエスタ加入後で延べ4人目の指揮官で、昨年6月に就任したドイツ人のフィンク監督の指導力と、夏の移籍市場で加わった新戦力がもたらす個の力が触媒となった化学反応を介して、ヴィッセルは鮮やかに生まれ変わった。
最終ラインはそれまでの4バックから大崎玲央を真ん中に、右に昨春に加入していたブラジル人のダンクレー、左には夏場にバルセロナから新加入したベルギー代表トーマス・フェルマーレンが入る3バックへと変更。ダンクレーの強さと高さ、フェルマーレンの巧さと濃密な経験が色濃く反映される形となったことで、喫緊の課題だった失点の多さが少しずつ克服されていった。
夏場に加入したGK飯倉大樹(前横浜F・マリノス)は、高度なフィード能力と最後尾からチームを盛り上げるビッグセーブをもたらした。同じく夏場にハンブルガーSVから移籍した元日本代表の酒井高徳は、左ウイングバックとして攻守両面における豊富な運動量だけでなく、長くヴィッセルに欠けていた旺盛なファイティングスピリッツを注入した。
昨春にバルセロナから加入し、夏場過ぎからコンディションを回復させてきたセルジ・サンペールがアンカーに定着。右ウイングバックのベテラン西大伍を生かし、左右対の形で並ぶインサイドハーフ、イニエスタと日本代表の山口を後方から長短の正確なパスで支える。
群を抜くスピードを誇る2トップの一角、古橋亨梧は森保一監督に率いられる日本代表に招集されるまでに成長。ビジャは引退したものの、J1で実績を誇るFWドウグラスが清水エスパルスから加入した。ようやく最適解を得た頼れる仲間たちへ、イニエスタはこんな言葉を残したことがある。
(取材・文:藤江直人)