新たな時代へとつながる扉
クラブの歴史上で、実は初めてとなる光景が生まれていた。サガン鳥栖をホームの等々力陸上競技場に迎えた、2月22日の明治安田生命J1リーグ開幕戦。両チームともに無得点で迎えた65分に、川崎フロンターレを率いる鬼木達監督が寄せる信頼とともに、新たな時代へつながる扉が開けられた。
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長谷川竜也に代わって三笘薫が、家長昭博に代わって旗手怜央が同時に投入された。前者は筑波大学から、後者は順天堂大学からともに今シーズンに加入。リーグ開幕戦のピッチにルーキーが2人そろって立つのは、フロンターレがJリーグの舞台で紡いできた軌跡のなかで初めてだった。
フロンターレが初めてJ2に挑んだ1999シーズンから昨シーズンまでの21年間で、リーグ開幕戦でプレーしたルーキーはわずか5人。2005シーズンから定着しているJ1に限れば、2015シーズンのDF車屋紳太郎(筑波大学卒)、2018シーズンのMF守田英正(流通経済大学卒)の2人しかいない。
ともに1997年に生まれ、東京五輪に臨むU-23日本代表にも名前を連ねる22歳の三笘と旗手は、それだけ即戦力の期待を背負って加入したことになる。キャンプから繰り広げられた、厳しい競争を勝ち抜いた末にサガン戦でベンチ入りし、ともに途中起用された試合後には、シュート数で19対3と圧倒しながらスコアレスドローに終わった結果に対して、くしくも同じ言葉を口にしている。
「もっと、もっと結果にこだわって、シュートの練習もしていかないといけない」
「思っていた以上に早かった」川崎への帰還
小学生年代のU-10からフロンターレのアカデミーで心技体を磨いてきた川崎市出身の三笘は、U-18の卒団を控えていた2015年にトップチームへの昇格を打診されている。しかし、熟慮した末に「大学でひと回り大きくなってから」とプロになる夢を一時的に封印し、筑波大へ進学した。
2年次で臨んだ2017年の天皇杯全日本サッカー選手権大会では、J3のY.S.C.C.横浜、J1のベガルタ仙台、J2のアビスパ福岡を撃破する、痛快無比なジャイアントキリングを起こした筑波大の主軸を担った。特にベガルタとの2回戦では先制、逆転の2ゴールを奪う活躍ぶりを演じた。
快進撃は当時J1の大宮アルディージャに0-2で屈した4回戦で幕を閉じたが、三笘は直前にJFA・Jリーグ特別指定選手としてフロンターレに登録されている。筑波大学蹴球部に所属したままJリーグの公式戦に出場できるようになった状況を、三笘は笑顔で歓迎していた。
「自分を育ててくれたフロンターレはいまも愛していますけど、思っていた以上に早かった、というのが本音ですね。3年生ぐらいで登録されれば、と考えていましたけど、そこはプラスに考えて自分自身に期待したいし、成長への励みにしていきたい」
3年次の7月には2020シーズンからのフロンターレ加入が内定。特別指定選手にも登録され続けたなかで、昨年9月8日の名古屋グランパスとのYBCルヴァンカップ準々決勝第2戦の86分から敵地パロマ瑞穂スタジアムのピッチに立ち、公式戦デビューを果たしている。
「PLの旗手の息子」
三重県鈴鹿市出身の旗手は、中学時代は四日市FCで主にボランチとしてプレー。静岡学園高へ進学した後にストライカーとして頭角を現し、2年次には先輩の名古新太郎(現鹿島アントラーズ)らと全国高校サッカー選手権に出場。ベスト8へ進出したなかで、旗手も3ゴールをあげた。
父親の浩二さんは、社会人野球の本田技研鈴鹿でいぶし銀の輝きを放つショートとして活躍したことで知られる。高校時代はPL学園でレギュラーを担い、3年次だった1984年には甲子園で春夏連続準優勝。1学年下のエースに桑田真澄、主砲に清原和博を擁した最強時代だった。
浩二さんの残像が強烈だった分だけ、新聞などの記事に「PLの旗手の息子」と記されるたびに、多感な時期もあって複雑な思いを抱いた。だからこそ、友人の影響で始めたサッカーを極めたいと決意し、順天堂大では1年生ながら9ゴールをあげて関東大学サッカーリーグの新人王を獲得している。
ともに3年生の7月にフロンターレへの加入を内定させた三笘とは、2年次に台湾で開催され、日本代表が優勝したユニバーシアード競技大会でともに日の丸を背負った。昨年末にトランスコスモス長崎で行われたU-22ジャマイカ代表戦に臨んだ、U-22日本代表にもそろって選出されている。
日本が9-0で快勝したそのジャマイカ戦では、安部裕葵(FCバルセロナ)と並ぶシャドーで先発した旗手が16分、19分と立て続けにゴールをゲット。旗手がベンチへ下がった58分に安部との交代でシャドーの位置に入った三笘も、88分にゴールネットを揺らしている。
「前への推進力」が光った開幕戦
2人のホープが描いてきた軌跡は、リーグ開幕戦に先駆けて2月16日にグループリーグ初戦が行われたYBCルヴァンカップで再び交錯した。等々力陸上競技場で清水エスパルスと対峙した一戦で旗手が62分から、三笘は86分からそれぞれ途中出場。4分ちょっとながらプロの舞台で初共演した。
しかも、2人はそろって結果も残している。旗手はペナルティーエリア右からのクロスで74分に長谷川のゴールを、三笘は左サイドからのクロスでアディショナルタイムにFW小林悠のゴールをそれぞれアシスト。5-1の快勝に沸くなかで、ルーキーコンビは秘めてきた誓いを新たにしている。
「一緒にピッチに立ったときに2人でゴールを取りにいこう、という話は以前からしていた。前への推進力は、僕と(三笘)薫のよさだと思っているので」
旗手が明かしてくれたシーンが、あと一歩で現実のものになりかけたのはサガン戦の90分だった。今シーズンからキャプテンに就任した、DF谷口彰悟が最終ラインから放ったロングパスに、左タッチライン際に張っていた三笘が反応。斜め右前方のサガンゴールへ向けて抜け出していく。
競り合ったのは昨年の大学三冠を引っさげ、明治大学から加入した右サイドバックの森下龍矢。グングン加速した三笘は、左側から侵入したペナルティーエリア内で同世代のライバルよりも先に左足でボールを収め、次の瞬間、急停止から素早く切り返してボールを右足へと持ち替えた。
「彼(森下)のプレーはわかっていましたし、それに対応するプレーはしたつもりです」
交代出場後に何度か攻撃参加を許した対面の森下に対して、三笘は「もっと裏を狙ってもよかった」とリベンジの機会を待っていた。谷口からのロングパスは思い描いていた瞬間であり、先に主導権を握った攻防で満を持して切り返した。バランスを崩した森下は、三笘についていけなかった。
自責の念にかられる旗手
そして、余裕をもって見渡せた三笘の視野は、右サイドからダイアゴナルで走り込んでくる旗手の姿をとらえていた。左足によるワンタッチでシュートを放てるように、ちょうどいいスピードのパスをピンポイントの場所へ送る。均衡を破る、待望の一撃が生まれると思われた瞬間だった。
旗手が放った強烈なシュートは、ゴール左ポストのわずか左をかすめていった。フロンターレのサポーターがため息をつき、サガンのサポーターは胸をなで降ろしたシーン。ペナルティーエリア内で仰向けになり、両手で顔を覆いながら、旗手は自らの余裕のなさを悔やんでいた。
「相手がスライディングしてきて、先にボールに来ると思っていたんですけど……コースに入ってきたので、そこで打たずにターンして、中へもっていくのもひとつの手だったと思っています。ゴール前での判断が、まだまだ足りませんでした」
絶対にゴールさせてなるものかと、必死の形相で飛び込んできたのは、途中出場でボランチに入っていた高橋秀人。32歳のベテランがファウルを覚悟で、ボールに対してスライディングタックルを仕掛けてくると判断した旗手は、先に左足をボールにヒットさせようと自分を急かせた。
しかし、高橋は仕掛けたスライディングでシュートコースをふさぎにきた。相手の身体に当てちゃいけない、と意識した分だけ弾道が左にそれてしまったのか。高橋の狙いを事前に察知できれば、切り返して右足で狙えるシュートコースが新たに生まれたと旗手は自らを責めていた。
(取材・文:藤江直人)