「メディカルとあまり上手くいってなくて…」
言葉に窮している胸中が伝わってきた。脳裏に浮かぶ思いを当意即妙にして臨機応変に言語化して周囲をうなずかせ、時には笑いを誘ってきた昌子源の思考回路が、ちょっとした混乱をきたしていた。
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契約を2年半残した状況で、フランス1部のトゥールーズFCからガンバ大阪への移籍が電撃的に発表されたのが今月3日。新天地にして古巣でもある、青と黒を基調としたユニフォームに初めて袖を通した、本拠地のパナソニックスタジアム吹田で同5日に行われた移籍会見後の囲み取材だった。
「もう一度海外でプレーしたい、という気持ちは、現状ではありますか」
会場となった2階の記者会見室に駆けつけたメディアから、こんな質問が飛んだ。1992年12月生まれで、27回目の誕生日をフランスの地で迎えていた昌子は「いや、でも……あー、それについてはちょっと難しいな。でも……」と言葉を詰まらせた間に、必死に自分の考えを整理していた。
「チームのメディカルと僕はあまり上手くいっていなくて。もちろん向こうも一生懸命やってくれて、僕も必死になってこの怪我を治すように努めたけど、いろいろなところでちょっと。そういう経験もあって、僕もヨーロッパのいろいろな方に、こっちはこういう状況ですけど、そちらのクラブはどうですか、などとあれこれ聞いたりもして」
好事魔多し。復帰戦で負傷
念願だった海外挑戦を自らの意思で、わずか1年あまりで終わらせた理由を、昌子は長く悩まされてきた「この怪我」に帰結させている。予期せぬアクシデントに見舞われたのは昨年9月25日。結果としてトゥールーズでの最後の出場となった、アンジェSCOとのリーグアン第7節だった。
米子北高から2011シーズンに加入した鹿島アントラーズで、4年目からディフェンスリーダーを拝命。在籍中に5つの国内タイトル獲得を経験した昌子は、常勝軍団の悲願でもあったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)初制覇を置き土産にして、昨年1月にトゥールーズへ完全移籍した。
シーズン途中の加入にも関わらず、2018/19シーズンのリーグアン後半戦とカップ戦で昌子は20試合連続で起用された。しかし、好事魔多し。さらなる飛躍が期待された今シーズンは開幕直前の練習試合で左ハムストリングを痛め、大きく出遅れてしまった。
ようやく迎えた初陣がアンジェ戦だったが、右足首を痛めた昌子はハーフタイムで交代を余儀なくされた。以来、快方と悪化の間を何度も行き来する苦闘が始まる。ようやく復帰か、と思われた昨年11月上旬の練習で再び同じ箇所を痛め、年末には一時帰国してセカンドオピニオンも求めている。
全幅の信頼を寄せてくれたトゥールーズ
日仏のドクター間で異なっていた所見に、戸惑いを隠せなくなってしまったのか。冒頭で「ヨーロッパのいろいろな方に――」と明かしたように、昌子はヨーロッパでプレーする何人かの日本人選手に連絡を入れ、各クラブのメディカルスタッフや体制に関する状況を調べている。
「これは僕個人の意見ですけど、メディカルをはじめとしたスタッフは、日本の方がプロフェッショナルだと感じました。トップ・トップのクラブになればまた違うんでしょうけど、各リーグの下位に沈むようなクラブでは、クラブハウスの質や芝生のちょっとした管理にしても。そうした事情も承知のうえで海外へ移籍したのではないですか、と言われれば確かにそうなんですけど」
年が明けても出口が見えないトンネルのなかで、昌子はメディカルにプロフェッショナルが集うと信じる日本への復帰を決めた。リーグアンの最下位にあえぐトゥールーズの幹部から慰留されても、決意は変わらなかった。そして、海外への再挑戦に対しても、自分なりの答えを弾き出している。
「言い方が難しいな。ちょっと悪ければ向こうの批判になるし、そこはみなさん、お願いします」
完治を待つと慰留し、全幅の信頼を寄せてくれたトゥールーズを批判したくはない。加入直後に重用してくれた日々には、いまでも感謝の思いを抱いている。決してトゥールーズを悪者にしないでくださいと、自身を取り囲むメディアに断りを入れながら、昌子は持論を展開している。
「いろいろなクラブにある、ヨーロッパのスタンダードみたいなものがもしもそれだったら、僕は行かないな、と。ただでさえプロサッカー選手の寿命は短いし、だからこそできるだけ、一日でも長くサッカーをしたい。その意味で日本のプロフェッショナルはすごい、とあらためて感じています」
「厳しさの基準が違った」
昌子が言及した「もしもそれ――」とは、イコール、最後まで意見が合わなかったトゥールーズのメディカルスタッフのレベルを指している。オブラートに包むような表現になったのは、再びチャンスが訪れるかどうかわからない海外でのプレーを、断腸の思いでリセットしたからに他ならい。
もっとも、ヨーロッパへの挑戦を一時的に凍結する決断だけが、昌子がフランスから携えてきた手土産ではない。最終的には16位でかろうじて残留したものの、最終ラインをけん引した2018/19シーズンの後半戦では、濃密すぎるほどの経験を身長182cm体重76kgの身体に刻み込んだ。
「やっぱりフィジカルの部分が一番ですね。身長が190cmあって、体重も90kgあるようなフォワードがどのチームにもいるようなリーグでプレーしていたし、単純なパワー勝負では勝てない分、ならばポジショニングとか、いろいろな勝負に切り替えた自分がそこにいたので。実際にプレーで示して上手くいったことがあれば、もちろん失敗してやられたこともありましたけど」
リーグアンの舞台で繰り広げた、化け物のようなフォワードたちとの頭脳を駆使した戦いだけではない。日々の練習でも、常勝軍団と呼ばれ続けたアントラーズでも味わえなかった刺激を受けた。トゥールーズの地から日本を振り返ったとき、真っ先に昌子の脳裏に浮かんだのは「優しさ」だった。
「個人的な意見を言えば、そうなりますかね。育ててもらったJリーグから一度外へ出てみると、厳しさの基準が違ったというか。もちろん卑劣なことをしろ、と日本の選手たちに言うわけではないけど、ちょっとしたずる賢さや駆け引きの部分での勝敗というものを、もっと突き詰めていってもいいんじゃないかな、とは感じました」
(取材・文:藤江直人)
【了】