堂々たるフランスデビュー
欧州で移籍マーケットがクローズしたあとの2月3日、昌子源がトゥールーズを退団し、Jリーグのガンバ大阪と契約したことが発表された。1月31日を過ぎて、動きはもうないだろう、と思っていた矢先の電撃的なニュースで、フランスのスポーツメディアでも一斉に報じられた。
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昌子が鹿島アントラーズからトゥールーズに移籍したのは、1年前の2019年1月。移籍金300万ユーロ(約3億5000万円)、契約は2022年夏までだったが、「足首の怪我が一番の原因でした。サッカー選手である以上、早くサッカーがしたかった」。昌子は移籍を決断した理由を、ガンバ大阪の入団会見の席でそう語った。
昨年1月6日、トゥールーズでお披露目された昌子は、19日の第21節ニーム戦でデビュー。当時はカメルーン代表のベテランDFステファン・エムビアが移籍、主力組にけが人も続出する中、2、3日おきに試合をこなす過密日程期にあったから、昌子は「習うより慣れろ」とばかりに、その後のリーグアン18戦と、フランスカップ戦2試合の計20戦、全試合で先発フル出場した。
デビュー戦では、アウェイで1-0と、価値あるクリーンシートでの勝利に貢献。フィジカルを武器にする、フランスリーグを体現するような攻撃手が揃うニームとの対戦は、昌子にとって『フランスリーグの洗礼を受けた』体験となったが、トゥールーズの番記者たちは軒並み、「(入団直後で)彼のベストの出来ではないのは明らかだが、初戦にして、今後を期待させる手応えあるパフォーマンスだった」と高評価だった。
試合開始後は押し込まれる感じはありつつも、時間の経過とともに徐々に前に張り出していった順応性や観察力、左右両足を使いこなしての精度の高い配球スキルも、現地記者たちの目を引いた。加えて、彼ら報道陣やサポーターにとって嬉しい驚きだったのは、昌子の堂々としたプレーぶりだった。
ひとりのファンからは「昌子が海外移籍は初めてというのは本当か!?」と聞かれたが、「海外どころかプロデビュー後初めての移籍だ」と答えると、すでに何年も在籍していた選手かのような堂々さに、彼らは驚嘆していたものだ。
ムバッペと互角にマッチアップ
デビュー戦から、昌子はダレ気味の仲間にカツを入れたり、積極的に声を出し、ディフェンスラインの統制が乱れた時には率先して立て直すようなリーダーシップを見せていた。昌子が勝者のメンタリティーを持ったファイターであること、そして他の選手をはるかに上回るテクニックを備えていることは、すぐに認知された。
一方で課題とされたのは、「マッチアップした瞬間、パワフルな相手に強烈なインパクトを与える」という、リーグアンのディフェンダーに欠かすことのできない要素だった。
その後の試合でも、スピードとパワー全開でゴール前に進入してきた相手フォワードに抜かれたり、それが失点につながったこともあったが、昌子はそれらの経験から、次はどう対処すべきかを着実に学んでいった。たとえば、足の速さで追いつけない相手なら、走るコースを工夫して先回りする、といったように。
3月にパリ・サンジェルマン(PSG)と対戦したときには、常勝軍団に1点しか与えなかった。エディンソン・カバーニやアンヘル・ディ・マリア、ネイマールらは不在だったが、キリアン・ムバッペがトップで攻撃を担い、その彼と昌子はマッチアップした。
「こんな機会はなかなかない。世界の最高峰とやるチャンスは少ないと思うから、いろいろなトライをしよう!」
そう試合前から決めていたという昌子は、ムバッペとデュエルの場面を迎えるたび、距離を開けて対応、足を出してボールをとりにいく、あえて離して相手がトラップに行った瞬間を狙う、等々、いろいろなパターンで挑んだ。74分に、超絶クイックモーションから1本決められたが、試合後ムバッペは、ゲームには勝ったのに相当イラついていた。試合の間中、昌子がフラストレーションを与え続けていた証拠だった。
PSG戦では、相手のセンターバック、チアゴ・シウバとマルキーニョスのプレーを観察し、「本当に気がきく、というか、周りの選手を助けながら自分の仕事もやっている。フランスでやる以上は、目標はあの2人」と、熱く語ってもいた。
DFラインの要になるはずが…
シーズン終了間近の5月ごろになると、「最近、しなやかなフォワードが多かったけれど、久々に、ザ・身体、ゴリゴリ、という選手とやって、自分自身、成長しているのを感じました。最初のほうは、そういうチームばっかりですごく苦戦したイメージがあったけれど、ちょっとずつ対応の仕方とか成長しているな、と思います。まだまだだと自分でも思いますが、来シーズンに向けてこの調子は崩したくないと思う」と話していた。
この頃には、コンビを組むクリストフ・ジュリアンとの連係の良さが周囲から評価を得るまでになっていた。昌子自身、出場機会を求めてがむしゃらだった最初の頃に比べ、続けて試合に出ているうちに、連係を考えられるようになったと、手応えを話していた。
そのジュリアンが夏にセルティックに移籍したこともあり、アラン・カサノバ監督は、今シーズン、DFラインの要となるのは昌子だと期待していた。プレシーズンマッチでも昌子を繰り返し起用し、新入りのウルグアイ人DFアグスティン・ロヘルとのコンビネーションも良くなってきつつあるところだった。
ところが、開幕前最後の練習試合となったノリッジ戦で、昌子は腿裏の筋を痛めてしまう。
9月に実戦復帰を果たし、25日の第7節・アンジェ戦で先発出場が叶った。しかしこの試合でジャンプした際に足首をひねって途中退場。11月ごろには回復の兆しが見えて10日の第13節・モンペリエ戦出場に向けて調整に入っていたが、トレーニング後に足首が腫れて、またリハビリに逆戻りとなってしまった。
この頃には、指揮官も、カサノバからアントワン・コンブアレに交代していた。自身もセンターバックだったコンブアレは、選手のコンディションを最優先し、「『無理はさせない』という監督の姿勢はありがたい」とチームスタッフも話していた。
「怪我を治すため」の移籍決断
12月の冬のブレークに入ると、昌子は治療のために日本に戻ったが、結局、回復を待たないまま、退団することになった。
ガンバ大阪の入団会見で昌子は、「トゥールーズとメディカルの方で合わなかったというのもあった。リハビリしながらもよくならず。この怪我を治すため、と考えて移籍を決断した」と話したが、海外、それにクラブによってもメディカルの状況は様々。一向に良くならずプレーに復帰できないのは、相当辛い日々だっただろう。
今回の退団についてフランスのメディアは、関係者のコメントも交えつつ『怪我に加えて、フランスでの生活も合わなかったようだ』と書いている。海外で仕事をして生活する以上、当然サッカー以外の部分での苦労もあったはず。ただ、この怪我がなく、「サッカー選手としてサッカーをプレーする」という大前提があれば、このタイミングでの退団はなかったように思う。
「試合以外、サッカー選手としてだけでなく、人としてもいろいろな経験ができた。1年が早いか遅いかを決めるのは僕だし、成功か失敗かを決めるのも僕。大きな決断だったが、これからの僕の活躍や目に見える結果次第で、それが良かったと思えるように…」と昌子は話したが、本当にその通りだ。
鹿島アントラーズでプロデビューして以来、国内ですら移籍したことがなかった昌子が、日本を飛び出して、違う環境の中、考えの異なる選手や、日本にはいないような技能を持った対戦相手と出会った。クラブの対応や生活面などなど、彼の世界には、この1年のフランス滞在のあいだに、多くの新風が吹き込んだことだろう。
昨シーズンの半年間のプレーを見て、2年目はリーダー格となって活躍してくれる確信があっただけに、もっともっと、昌子の真骨頂をフランスで見たかったが、早く怪我を完治させて、また「おお!」と観る者をうならせるプレーを披露して欲しいと願う。
(取材・文:小川由紀子【フランス】)
【了】