「自分の人生、誰も責任は取ってくれない」
――ここまでの話をお聞きしていると、アルゼンチンやモンテネグロ、ブルガリア、ポーランドなど日本人の少ない、ある意味「未開の地」へ1人でどんどん飛び込んで挑戦されているにも関わらず、意外に慎重で心配性なところがあるのは驚きました。
「サッカー以外のことに関しては結構慎重で常に最悪のケースを考えていますね。例えば『この電柱が折れたらどうしよう…どう逃げよう…』とか、ちょっとした段差を歩いていて、『落ちて足首を捻ったらどうしよう…』とか。そういう日常生活の小さなことで常に最悪の事態を考えることは結構多くて、日本に帰って車を運転する時も、僕は友達をあまり乗せたくないんです。『事故を起こしてその友達に何かあったら嫌だな…』とか思いますし。
ただサッカーに関しては、自分が一番ワクワクできる選択肢を自然と選択できるというか。不安はもちろんあるかもしれないですけど、ここに行ったら面白いのではないか、ここなら自分の目標に近づけるのではないか、というワクワクや期待感が不安をはるかに上回るんです。万全の準備をして向かうというよりは、あそこにたどり着くためにはここに行ったほうがいいな、じゃあ行こう!みたいな感じです。基本的には自分の人生なので、誰も責任は取ってくれないですし、全て自分で決めます。
今までもたくさんの人からいろいろなことを言われました。『何でそこなのか?』『もっと他にあったでしょ』とか。でも、自分にはたどり着きたい場所があって、やりたいことがあって、お金も全く関係ない。自分が何を望んでいるかが所属するクラブを選ぶ基準なので、そうやってきたらジブラルタルに来ていたという感じです」
――心配性な部分と、もう一方に持っている芯の強さや決断力が、味方を助ける危機察知能力や、思い切りのいいタックルに象徴されるデュエルの強さを併せ持つプレースタイルに反映されているような気がします。
「それはあると思います。ここでボール失ったら相手があそこに出すよな…とか、このスペースは埋めておいた方がいいよな…とか、ここのラインは消しておいたほうがいいよな…とか、ここにきたら相手をこっちに流そうとか、ボールと人のどちらを止めようかとか、攻めている時も常にイメージしてプレーしていますね」
「サッカーが大好きだということ。そこは全く変わらない」
――サッカー人生はこれからも続いていきます。こうして好きなことを仕事にし、夢を追いかけ、サッカー対して情熱を注げるというのは、すごく幸せなことなのではないかと思います。
「常に幸せに感じています。自分が幼い頃から一番好きなことでお金をもらいながらプレーする。でもその反面、苦しいことや辛いことの方が明らかに多くて、なんなら僕みたいな選手は、キャリアの9割は本当に辛いことばかりでした。でも、残りの1割には喜びや嬉しさがあります。やってきたことが実った時、勝てなかった相手に勝てた時、レベルの高いチームと試合ができた時……そこで自分の実力を試せて、課題が出て、またそれを修正して、次は通用するようになっていたとか、そういうことを積み重ねられているのはすごく幸せです。
振り返ればアルゼンチンにいた頃が精神的にも一番しんどかった時期でしたね。でも街中を見たら子どもたちが裸足でボールじゃない『ボール』を蹴っているんです。靴下をまとめたものや缶でサッカーをしている子どもたちだったり、学校に行きたくても行けない子どもたちの姿だったりを見て、僕が悩んでいるのはすごくちっぽけなことで、何て幸せな悩みごとなんだと思えました。
だからこそ、いつ現状がゼロになるかわからない中でも目標を持ちながら、今やれることを100%やるしかないということも学びました。やっぱりどんなに苦しい状況でもサッカーを辞めないのは、『サッカーが好きだから』というのが一番の理由で、サッカーでお金が稼げるからではなくて、純粋にサッカーが好きだから今まで続けてきたんです。だから僕は今、ジブラルタルにいる。
でも、1人では絶対ここまで来られなかったし、いろいろな人のサポートがあって今の自分がある。そして行く国で必ず助けてくれる人がいて、たくさんの監督やチームメイトたちとプレーしてきて、いろいろな学びもありましたし、信頼関係も築くこともできました。もし引退しても、遊びに行けば一緒にお茶したりできる仲間も増えました。本当にサッカーに全てを与えてもらっていると思っています」
――30歳になり、選手としてもベテランと言われる時期に差し掛かりましたが、サッカーへの情熱は全く変わらないということですね。
「サッカーはずっと好きです。コンディションはすごくいいですし、体も20代前半の自分よりはるかにキレていて、成長し続けている感覚もあります。とはいえ僕自身が年齢の影響を感じていなくても、契約する側としてはやっぱりまず年齢を見ますね。そこの難しさは感じています。
すべてをフラットに見てくれるのであれば、それこそ『30代だからちょっと厳しいな』と言われることもない。年齢をも凌駕する実力が備わっていれば、全く問題ないことだと思うんですけど、それも含めて自分の実力不足なのでもっと練習して上手くなるしかない。そのためにはやっぱり、『サッカーが好き』という情熱がないと続かないですよね。
逆に一番好きなことだからこそ、悩むことが多いですし、逃げ出せないんですよ。サッカーがなかったら自分には何も残らない。でも、『自分にはこれがある』と思えるのがサッカーです。根底にあるのは自分がサッカー大好きだということ。そこは全く変わらないですね」
「精一杯頑張れない選手にいい未来はない」
――今はジブラルタルでプレーしていますが、スペインでプレーするという夢も持ち続けています。それも踏まえ、改めてご自身の将来像、選手としての理想の姿についてどう考えていますか?
「スペインでプレーしたい、というのが自分の中でいちばん大きな目標であって、そのために今ここにいます。セント・ジョセフスの選手の8割がスペイン人、監督もコーチもスペイン人というのもジブラルタルでのプレーを決めた理由の大きな部分を占めていました。もちろんスペイン語でのコミュニケーションもそうですし、ジブラルタルにいながらスペインサッカーを体感できますから。
だから仮に1月にスペインに戻ったら、言葉面や戦術面だけでなく、人間性、文化、食事などの面でも9月にいた時よりアップデートした状態で挑めると思っています。スペインに行くための選択をしてここにいて、1月に挑戦できればベストですし、そうでなければまた次を考えればいいだけであって、それがヨーロッパなのかアジアなのか、どこになるかわからないですけど、でもまずはスペインでプレーすることを第一に考えています。
スペインに挑戦するなら、まず1部リーグを目指すのは当然です。世界一のリーグだと思っているスペインリーグでプレーし、世界一の大会だと思っているチャンピオンズリーグで戦いたい。この2つは自分の中で人生の大きな目標です。
うまい相手に自分がどれだけやれるのか、自分のやってきたことがどれだけ通用するのか。もしかしたら全く通用しないかもしれないし、そういうのを知りたい。とにかくうまい相手とやって勝ちたい。というのが僕の原動力になっています。
あと何年現役でプレーできるかわからないですけど、将来的にはアジアの国も見てみたいですね。いろいろな国に行って、いろいろな人と出会って、いろいろな文化を学んで、いろいろなサッカーを見てみたい。スペインでプレーし、理想のキャリアを実現するために、とにかく今できることを積み重ねていきたいなと思います」
――最後にお聞きします。すごく抽象的になってしまいますが、加藤選手にとってサッカーと結びついて最初に湧き上がってくる感情はどんなものですか?
「『幸せ』じゃないですかね。こうやって好きなことで海外に来て、好きなことをやって生活できているわけですから。今がすごく幸せなことだからこそ、自分のいる環境が当たり前じゃないというのも常々考えています。
今をとにかく精一杯頑張れない選手にいい将来はついてこない、いい未来はない。結局はすべてつながっていくわけで、無駄な1日、無駄な時間なんて絶対にないんです。だから充実した日々を大好きなサッカーとともに過ごさせてもらっているのは、やっぱり幸せなんだなと思います」
(取材・文:舩木渉)
加藤恒平(かとう・こうへい)
1989年6月14日生まれ、和歌山県出身。ジェフユナイテッド千葉の育成組織を経て立命館大学に進学。大学在学中にアルゼンチンへ渡り、プロ選手としての契約を目指す。帰国後の2012年にJ2のFC町田ゼルビアへ加入。同クラブ退団後はモンテネグロ、ポーランドを経て、ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラ在籍時の2017年5月に日本代表初招集。2018年にサガン鳥栖でプレーしたのち、再び渡欧し2019/20シーズン前半戦はジブラルタル1部のセント・ジョセフスFCに在籍した。Jリーグ通算30試合出場。
【了】