「サッカーだけの選手はもう生き残っていけない」
――ここからは将来に向けた話をしようと思います。阿部選手はTOKYO CITY F.C.に加入してからTwitterを始め、自分で編集したハウツー動画なども投稿されています。Jリーガー時代にはなかったようなイベントに登壇したり、Youtuberとしての発信も始めたりとピッチ外での活動も多岐に渡りました。こうした新しい取り組みに抵抗はなかったですか?
「Jリーガーとして生活している頃にも、ちょっとやってみたいなとは思っていたことは多くありました。でもプロ選手はサッカーが本業で、それに影響が出るようなことをすべきではないという風潮もありますよね。それはそれとして、一方で変わっていかなければならないとも思います。
今も自分から積極的に発信する選手はいますが、一部の有名選手や海外でプレーしている選手が中心だと思うんです。でも、より若い選手なんかが自分で発信して世に出ていくことで日本のサッカー界はもっと良くなると思いますし、1人ひとりがプロサッカー選手として、現在だけでなく将来も含めていろいろなことを考えていかなければならないと投げかけるような発信を少しはできたのではないかと思っています」
――サッカー選手は現役としてプレーできる期間が短いですし、セカンドキャリアについてどう考えるかは業界全体として重要なテーマになってきています。
「いろいろな経験をすることだけでなく、今の時代、いろいろ勉強しないとヤバいと思います。サッカーだけで生きていかなくちゃ…という選手はもう生き残っていけない。どのスポーツにも言えるのかもしれないですけど、セカンドキャリアで本当の意味で成功したと言えるのは一握りだと思いますし」
――そして最近は阿部選手のようにJリーグで引退せず、地域リーグに活躍の場を移す選手が増えています。この動きについてはどう感じていますか?
「結局はお金の話になるのかもしれないですね。経済的に苦しい中でもJ2やJ3でプレーするのか、あるいはカテゴリを落としてでも多少金銭的に恵まれた地域リーグのクラブでやるのかというのは難しい選択だと思います。選手としての価値がどうかだけでなく、家族がいると現実的な選択をしなければならない場合もあるかもしれない。でも、資金のあるクラブが実力のある選手を獲得して強くなって、どんどん上に行くのはいいことでもあります」
「監督にはなりたくないし、自分にはあまり向いていない」
――実力のある選手が下のカテゴリへ降りていく『ねじれ現象』的なものが生まれる一方で、適正な生存競争も起きていくということですね。ただ、実績豊富な選手が下のカテゴリで自分の能力や経験を伝えていくことは、サッカー界全体の底上げになるとも考えられます。
「ベテラン選手だったら戦術的なところを伝えていけると思います。そういう選手たちがコーチとしてではなく、一緒に動いてピッチの中でプレーするのは説得力があるし、すごく大事だなというのは自分も感じています。最近は高校の部活の練習にも行っていますけど、自分もやりながら教えるのが選手たちにすごく響いてるなと思うんですよね」
――阿部選手としては将来指導者になることに関心はあるのでしょうか。
「指導者止まりですかね。監督にはなりたくないし、自分にはあまり向いていないと思うので。監督は先生みたいなスタイルでバランスをとる方が、チームは安定すると思います。いろいろなスタイルがあるから一概には言えないですけど、監督の起伏にチームが同調してしまうところがあって、たまに昨日とは真逆のことを平気な顔で言うことがありますけど、自分にはそれができない(笑)」
――2020シーズンもTOKYO CITY F.C.でプレーすることが決まっていますが、都リーグ1部昇格を目指す中で新たな選手も加わり、チームに変化がある中で2年目に取り組んでいきたいことはありますか?
「基本的な戦術の浸透を進めていきたいというのはありますね。それを極めれば仮に他のチームに移籍したとしても、普通に入っていけるようなサッカーの原理原則的なことです。
もちろん新しいことにもどんどんチャレンジしたいと思っています。1つひとつの動きを噛み砕いてサッカーを言語化することがすごく難しくて、そういったところを追求していきたいなと。インステップで蹴るにしても、こういう風に入ってこう蹴るみたいな動きがあって、人によって蹴り方が違ったりするので、そういうこともフォーカスしたりして発信していきたいです。
僕らはずっと反復でやっていて、これが一番効率がいいとか、強く飛んだりするとか、自分なりの方法論を体の中だけで発見してしまっていて、今までは無意識のうちに通過してきたが故に言葉にする必要がなかった。
だからそれを噛み砕いていって、映像やスクールなどを通して、小学生もっと小さい子どもたちにも教えられるような表現の仕方ができたらいいなと。見てもらっても楽しいし、自分でも『あ、そういう風に伝えればいいのか』というのを発見しながら、楽しいこと、面白いことができたらいいと思っています」
「このクラブではサッカーだけが求められるわけではない」
――TOKYO CITY F.C.は渋谷区をホームタウンにしていて、Jリーグクラブと同じように地元に根ざした活動も増えてきています。そういった地域貢献活動にも関わることがこれまで以上に増えていくと思います。
「イベントとかは面白いですし、どんどんやっていきたいですね。とはいえ魅力的なサッカーをして応援してもらいたいのが一番ですし、そこを高めてアピールしていかないといけないなというのは前提としてあります。
そこを疎かにすると『楽しい人たちだね』で終わってしまう可能性もありますから。僕はサッカー中心に高めていきながら、イベントなどにも出ていきたいですし、面白いことがあればどんどん提案してもらいたいなと思っています」
――都リーグ1部昇格と単なるサッカークラブにとどまらない価値の創出を目指す中で、1月には新戦力を獲得するためのセレクションも開催されます。チームメイトや新しく入ってくる選手たちに求めることはありますか?
「情熱を持っている選手ですね。上手くなりたいという気持ちを持ってきてくれれば、一緒にサッカーをやりたいと思うし、よりいい選手に育てたいなとも思います。そうやって熱意のある選手は総じてチームのためにという気持ちもあるし、クラブが目指す方向性とも合致して、ピッチ外の活動でも力を発揮してくれると思います。
このクラブではサッカーだけが求められるわけではなくて、それ以外にもいろいろ興味を持って自分から動いて取り入れたりする文化もある。サッカーだけをやるならプロ選手と変わらないし、情熱を持ってサッカーをするだけでなく、1人ひとりがいろいろなことを考えながら行動していってほしいと思っています」
阿部翔平にとって「サッカーとは?」
――社会人になってアマチュアでもサッカーを続けるには情熱も重要ですよね。
「僕も昔はすごい冷めていたんですよ。プロに入って数年くらいの頃、通用しなかったら2、3年で辞めて他のことをすればいいかなと思っていましたし。それからさらに2、3年が経った頃も、あと3年くらい、28歳くらいでダメだったら…という感じでサッカーをやっていました。
でも、今は本当にサッカーが好きですね。どうしたらうまくいくかとか、効率よくボールが回せるのかとか、ずっと考えています。10年前に今のマインドを持っていたら、もっと違ったキャリアになっていたかもしれないですけど(笑)
今はサッカーが自分にとって1つのツール的なものになっているのかなと感じます。サッカーによってコミュニケーションを取れるし、一番自分が得意なものなので。とにかく蹴ることが好きなんでしょうね。『あなたにとってサッカーとは?』とよく聞かれますけど、どういう風に蹴ったらどういう変化が起こるんだろうみたいなものを追求するのが、最初から最後まで自分にとってのサッカーの一番の魅力なんだと思います」
――2020年は東京五輪というスポーツ界のビッグイベントもありますが、クラブとしては都リーグ1部昇格を目指すだけでなく、様々な活動を通して渋谷区を中心にサッカーの魅力を広げていくことも求められる重要な1年になると思います。改めてTOKYO CITY F.C.での2年目のシーズンに向けた意気込みを聞かせてください。
「2019年以上に充実した1年にするのは、もちろん大変だとも思いますけど、めちゃくちゃやりがいはあります。クラブは今、すごく変わろうとしているので、本当の意味で変革の年になるのではないかとも思っています。その変化にサッカーの内容もついていけるように高めていきたいです。個人としてはどうやったらサッカーが上手くなるのか噛み砕いて、様々な媒体を通して多くの皆さんにわかりやすく伝えることができたらいいなと思っています」
(取材・文:舩木渉)
阿部翔平(あべ・しょうへい)
1983年12月1日生まれ、神奈川県出身。横浜フリューゲルスジュニアユース、市立船橋高校、筑波大学を経て2006年に名古屋グランパスでJリーグデビュー。高精度の左足キックを武器に主力定着を果たすと、2009年には日本代表にも初招集され、2010年に名古屋の主力としてJ1リーグ優勝にも貢献した。ジェフユナイテッド千葉やヴァンフォーレ甲府でもプレーし、2019年に東京都2部リーグのTOKYO CITY F.C.に加入。Jリーグ通算355試合出場4得点、2019年は東京都2部リーグで13試合出場2得点。
【了】