GK参加型ビルドアップ
GKが攻撃に参加することで、フィールド上に11対10の数的優位を作ることができる。11対11にするには、守備側のGKが相手のFWをマークすればいいが、そうするチームはないので、GKがビルドアップに加わった時点で攻撃側の数的優位は確定する。
GKのビルドアップへの参加は2019年に始まったわけではなく、以前から行われていたが、活用するチームが増えている。優勝した横浜F・マリノス、このやり方を最初に開始したサンフレッチェ広島、ヴィッセル神戸、大分トリニータがGK参加型ビルドアップの代表格だった。
GKからパスをつないでいく、バックパスを使ってGK経由で組み立てていく方法にはリスクも伴う。GKの足下の技術はもちろん、敵が前がかりにプレスしてきたときにロングパスで浅いディフェンスラインの裏をつくキック力も要求される。
大分は相手を釣りだして裏をつく攻撃を得意としていた。GK高木駿の鋭い弾道の正確なロングキックが「擬似カウンター」と呼ばれる攻撃を成立させていた。横浜FMの朴一圭はショートパス、ロングパスともに上手く、その中間的な距離のパスを届ける目と技術を持っていた。
GK経由の組み立てではなく、ロングボールをFWへ蹴るチームもある。ジョーのいる名古屋グランパス、ジェイを擁する北海道コンサドーレ札幌など、前線に明確なターゲットマンのいるチームはリスクを冒して後方からつながなくても前線で起点を作れるからだ。GKを使ったビルドアップが必ずしも正解ではなく、チーム事情による。ただ、2019年はGKの攻撃能力が重視される傾向が出ていた。
ビルドアップにおける形状変化
ビルドアップの段階でMFがディフェンスライン近くへ下がり、同時にサイドバックが高い位置へ上がる形状変化はどのチームにも見られた。
MFの1人がセンターバックの間に下りる、あるいはセンターバックとサイドバックの間へ引く形だ。守備側の前線中央は多くて2人なので、2センターバック+MFの3人がいれば1人をフリーにできる。多くの場合は自陣ハーフスペース(フィールドを縦に5つに分けた場合の左右の一番外から2番目のレーン)にフリーマンを作り、そこから前方へ展開していた。
最初からDFが3人いる3バックの場合は、あまり形状変化は行わないが、必要に応じてMFが下がることもある。Jリーグにおける形状変化は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が広島を率いていたときに始まっているが、そのときは3バックから4バックへの変化だった。しかし、札幌では初期の「ミシャ式」を進化させ、どのポジションの選手が引くか(あるいは引かないか)はより柔軟になり、形状変化がランダムになっている。
横浜F・マリノスはサイドバックがインサイドにポジションをとる「偽サイドバック」を使っていた。この形状変化は2018年にもあったが、こちらも相手のポジションに合わせて柔軟に変化するようになっている。
プレーメーカー化するサイドバック
ビルドアップにおける形状変化にともなって、サイドバック(またはウイングバック)は高い位置をとっている。ビルドアップの「出口」がハーフスペースだとすると、崩しの「入口」になるのがサイドバックである。
タッチラインを背にして前向きにパスを受けられるサイドバックが、攻め込みの起点になるケースが多くなった。従来のサイドバックはタッチライン沿いに上下動を繰り返すスタミナ、スピード、サイドアタッカーとしてのクロスボールの質が主に問われていたが、組み立ての起点となるプレーメーカーとしての資質がより問われるようになったといえる。従来型がウイングとの兼任とすると、サイドハーフと兼任するタイプが多くなっていくのではないか。
横浜FMの松原健、ティーラトン、広瀬陸斗はフィールドの内側でMFとしてのプレーをこなしている。広島の柏好文は組み立てからアシスト、得点まで幅広く活躍した。柏は左ウイングバックながら右利きだ。縦に突破しての左足のクロスボールばかりではなく、組み立てをメインに考えれば、サイドと利き足が反対のほうが視界を広く持てるのでむしろ有利ともいえる。
ニアゾーンの攻略法
サイドバック(ウイングバック)が崩しの起点となるのに伴って、敵陣のハーフスペースの先端へ侵入する攻撃方法がよく使われていた。いわゆる「ニアゾーン」への侵入だ。
ここからのクロスボールはタッチラインに近いところからのクロスに比べて、ゴールに近い。クロスの精度は増し、守備側が対応する時間は削られる。ニアゾーンからの低くて速いクロスボールは重要な得点源になっていた。
広島は柏が左サイドのタッチライン際で起点を作り、シャドー左側の森島司がニアゾーンをつく場面が再三見られた。横浜FMもこの攻撃を得意としていて、仲川輝人が俊敏さとテクニックを生かしていた。多くのチームがサイドバック起点からのニアゾーン攻略は意識していて、これも2019年に急に始まったことではないが傾向としてはっきり出ていた。
(文:西部謙司)
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