古巣対戦、万感の思いでプレーした山崎凌吾
懐かしさ。嬉しさ。そして、感謝の思い。ポジティブな感情を胸いっぱいに溜め込みながら、湘南ベルマーレの最前線にそびえ立つ男、山崎凌吾は運命の一戦のキックオフを迎えた。
武者震いを覚えはじめたのは、松本山雅FCとの明治安田生命J1リーグ最終節で引き分け、16位でレギュラーシーズンを終えてから一夜明けた8日だった。J1参入プレーオフ2回戦でモンテディオ山形を下した徳島ヴォルティスと、J1残留をかけて激突することが決まったからだ。
「すべて(の感情が)ありました。古巣相手ということで知っている選手も多かったし、僕がいたときとはまた違う、リカルドが求めるサッカーをみんなが体現しながら、正々堂々と勝負してきたなかで90分間、素直に楽しんでサッカーができました。もちろん自分の気持ちよりもチームが勝つことが、J1に残ることがすべてだったので、そのために全力でプレーしました」
ホームのShonan BMWスタジアム平塚で14日に行われたJ1参入プレーオフ決定戦。前半に背負ったビハインドを後半に入って追いついたベルマーレが、終了間際に展開された徳島の猛攻を一丸となってはね返す。執念のドローで90分間を終え、レギュレーションによりJ1残留を手繰り寄せた直後の言葉に、先発フル出場した山崎は万感の思いを凝縮させた。
リカルド・ロドリゲス監督との出会い
J2を戦っていた徳島ヴォルティスから、期待を託されて昨夏に湘南ベルマーレへ完全移籍した。正式発表された7月2日の徳島の公式ホームページ上に、山崎はこんな言葉を綴っている。
「シーズン途中にチームを離れることを大変申し訳なく思っていますし、本当に悩みました。いろいろなことを考えたなかでこのチャンスに挑戦したいという思いが強く(中略)再びJ1の舞台でプレーできるチャンスをいただけたのは、徳島ヴォルティスというチームでプレーしていなかったらできなかったと思っています。それほど、徳島ヴォルティスでは成長させていただきました」
福岡大学から2015シーズンに加入したサガン鳥栖では、左ひざのけがなどもあってJ1リーグ戦の出場は1試合、わずか1分間に終わった。翌2016シーズンにはJ2のヴォルティスヘ期限付き移籍。40試合に出場して5ゴールをマークし、大きな手応えとともにオフには完全移籍へと切り替えた。
迎えた2017シーズン。偶然に導かれた出会いが、山崎をさらに飛躍させる。新たに就任したスペイン人のリカルド・ロドリゲス監督のもとで、34試合に出場して14ゴールをマーク。J2リーグの得点ランキング2位で、日本人では最多の23ゴールをあげた渡大生と最強の2トップを形成した。
ヴォルティスも躍進を遂げ、J1昇格プレーオフへの進出圏内となる5位で最終節を迎える。しかし、勝ち点で並んでいた6位の東京ヴェルディとの直接対決に敗れ、さらに最終節で勝利したジェフ千葉にも抜かれて、まさかの7位でシーズンを終える、たとえようのない悔しさを味わわされた。
万能型フォワードへの進化
2017シーズンをともに戦った盟友たちのなかで、キャプテンのMF岩尾憲をはじめ、GK梶川裕嗣、DF石井秀典、DF内田裕斗、MF小西雄大、FW島屋八徳の6人が今回の決定戦の先発メンバーに名前を連ねている。昨日の友は今日の敵。山崎が「懐かしさ」を募らせた理由がここにある。
もっとも、2年前の山崎は決して順風満帆なシーズンを送ったわけではなかった。開幕から2ヶ月あまりは、なかなか先発の座を得られなかった。しかし、経験のなかったウイングバックでプレーし、サイドから渡をはじめとするフォワードの動きを見た日々が、プレーの幅を大きく広げさせた。
身長187cm体重80kgの恵まれた体躯を駆使したポストプレーだけではない。ハイボールへの強さは攻守両面で威圧感を放ち、豊富なスタミナに導かれる運動量は最終ラインの裏へ抜けるスピードでも、そしてボールホルダーへ詰め寄るファーストプレスでも相手の脅威になり続けた。
加えて、ウイングバックでの経験が、周囲を生かす術をも身につけさせる。サイズと強さ、そして巧さを併せもつ万能型フォワードへと進化を遂げつつあった山崎へ、ともにJ2を戦った2017シーズンから熱い視線を送っていたのが、湘南ベルマーレの曹貴裁(チョウ・キジェ)前監督だった。
湘南に不可欠な存在に
昨シーズンの開幕前に期限付き移籍で加入したFWイ・ジョンヒョプが、5月に右足首を骨折。長期離脱を強いられた緊急事態のなかで迎えた夏の移籍市場で、真っ先に山崎をリストアップ。出場可能となった7月22日のヴィッセル神戸戦で、いきなり先発させた采配が期待の大きさを物語る。
しかも、48分にはMF齊藤未月からのパスを受けて、十分にタメを作ったうえで、自身を追い抜いていった齊藤へ絶妙のスルーパスを供給。当時19歳だったホープのプロ初ゴールをアシストし、直後にピッチに投入されたアンドレス・イニエスタの日本国内デビューをかすめさせた。
もっとも、スペイン代表およびFCバルセロナで一時代を築いた至宝と、敵地ノエビアスタジアム神戸のピッチで競演できたのは6分ほどだった。キックオフ直後から味方を生かし、そして助けるためにハードワークを惜しまなかった山崎の両足は、60分すぎにはつっていたからだ。
それでも、頼れる背中を最前線で見せ続ける姿は、すぐに全幅の信頼を勝ち取った。続く柏レイソル戦でJ1初ゴールを含めた2発を、さらにサンフレッチェ広島戦でも連続ゴールを決める。1トップを担える人材を長く探してきたベルマーレで、山崎は瞬く間に必要不可欠な存在となった。
「アイツが外しているから試合に勝てない」と思う人はいない
昨シーズンは最終的に4ゴールにとどまり、背番号を「38」から「11」へと変えた今シーズンの初ゴールも、5月4日の名古屋グランパスとの明治安田生命J1リーグ第10節まで待たなければならなかった。ゴール数そのものは少ないが、それでも曹前監督は山崎に対してこんな言葉を残していた。
「アイツが外しているから試合に勝てない、と思っているのは僕を含めてチームのなかに誰もいない。サポーターの方々のなかにもいなかったんじゃないか。それほどチーム全体のスピードを加速させられる選手なので。アイツにボールが入ったときだけではく、アイツがスペースへ抜けたときにその穴へ全員が入っていって得点を奪える。性格もいいし、まだまだ伸びると思っています」
夏場に入ってセレッソ大阪からオファーが届いたと報じられた。大けがを負った都倉賢のシーズン中の復帰が絶望となった事態を受けて、白羽の矢を立てられた。しかし、セレッソは8月13日にJ2の得点ランキングで2位の15ゴールをあげていた、鈴木孝司をFC琉球から獲得している。
目標のひとつに日本代表入りを掲げる山崎は、ベルマーレで成長曲線を加速させる道を選んだ。しかし、時をほぼ同じくしてチームは激震に見舞われる。一部スポーツ紙でパワーハラスメント行為疑惑を報じられた曹前監督が、8月13日から活動を自粛したからだ。
そして、山崎の今シーズン4ゴール目などで、ジュビロ磐田から3-2の逆転勝利をあげた8月11日の明治安田生命J1リーグ第22節を最後に、ベルマーレは実に約3ヶ月半も白星から遠ざかる。特に清水エスパルスに0-6、川崎フロンターレに0-5とともにホームで屈辱的な連敗を喫した9月下旬から10月上旬にかけた時期を、山崎は「チームが分解しかけていた」と振り返る。
「ああいう報道や出来事があったなかで、選手それぞれの思いがあったし、スタッフもそれぞれの思いがあった。なかなか経験できないことというか、本当に長かったし、苦しかった。正直、サッカーに集中できない時期も多かったので」
浮嶋敏監督就任で生まれた新たな競争
ターニングポイントをあげれば、選手同士で思いの丈を語り合った川崎戦後の緊急ミーティングと直後の曹前監督の退任、そしてアカデミーダイレクター兼U-18監督だった浮嶋敏氏の新監督就任となる。宙ぶらりんな状況から解放されたことで、ベルマーレを取り巻く状況が劇的に変わった。
「(浮嶋)敏さんが新しい監督になったことで、バラバラになりかけていたチームにまとまりが出てきたし、新しい競争も生まれた。苦しい状況は続いたけど、アウェイのセレッソ大阪戦くらいから湘南らしいサッカーができるようになって、みんなが『まだいけるぞ』という気持ちになった」
0-1で惜敗したセレッソとの第31節は、シュート数では13本に対して9本と上回った。試合終了間際に痛恨の同点弾を喫したものの、FC東京との第32節ではドローで連敗を6で止めた。そして、サンフレチェ広島との第33節を1-0で制し、実に11試合ぶりとなる白星をもぎ取った。
勝てば残留を決められた松本山雅との最終節の試合終了間際に同点とされ、16位でJ1参入プレーオフ決定戦に回ることが決まっても動じない。J2の4位から勝ち上がり、勢いに乗るヴォルティスにセットプレーから20分に先制されても、山崎によれば「それほど焦りはなかった」という。
「先に点を取られることはあまり想定していなかったけど、先制された後のピッチ上でも、そしてハーフタイムのロッカールームでも『自分たちが1点取ればいい』という話をしていたので」
「ハーフスペースを上手く狙えばチャンスになる」
後半のキックオフから、浮嶋監督は中川寛斗に代わってクリスランを投入する。ベガルタ仙台と清水エスパルスでプレーした、身長187cm体重85kgのブラジル人ストライカーが1トップに入り、左利きの山崎が左シャドーに回った。このときから山崎の脳裏に、ゴールまでの道筋が浮かびはじめる。
「ハーフスペースのゾーンを上手く狙えばチャンスになると思っていたんですけど、前半はそこがちょっと取れなかったし、自分も前線で孤立している場面が多かった。後半は自分がシャドーに入ったのでハーフスペースを狙いながら、前線にはクリス(クリスラン)がいるので、クリスを生かしながら自分もゴール前に入っていく考えをもってプレーしていました。クリスが前に入ったことで相手はより難しくなったはずだし、自分も生かされると思っていました」
山崎が描く青写真は64分に具現化される。左タッチライン際でこぼれ球を拾った高卒ルーキー、鈴木冬一が迷うことなくターン。マークについたFW野村直輝を置き去りにして、ドリブルでボールを前へ運ぶ。このとき、山崎はひとつ内側のレーン、いわゆるハーフスペースを前へ駆けあがっていた。
そして、鈴木から右斜め前方、ペナルティーエリアの左角付近へ走り込んでいた山崎へ、正確無比な浮き球のパスが入る。巧みな胸トラップからボールを前へ落とした山崎は、スピードを落とすことなく利き足の左足でクロスを送る体勢に入った。
危機を察知したDFヨルディ・バイスが、つり出される形でマークにつくも間に合わない。グラウンダーのクロスは、バイスの左右の足の間を抜けてゴール前へ。ファーサイドへ走り込んできた松田天馬が発した「スルー!」の叫び声に、ニアサイドにいたクリスランもあうんの呼吸で反応した。
「ゴール前のスペースも、(松田)天馬が入ってくるのも見えていたので。そこは感覚で」
徳島で培った視野の広さと戦術眼
バランスを崩しかけながらも執念でボールをねじ込んだ松田に、真っ先に飛びつかれた山崎が会心の笑顔を浮かべながら殊勲のアシストを振り返った。2017シーズンから徳島を率いるロドリゲス監督が注入してきたのが数的、位置的、そして質的な優位に立ってボールを受けられるポジショナルプレーであり、ゴール前の中央とタッチライン際の中間にあるハーフスペースの活用だった。
つまり、ベルマーレを蘇生させた同点ゴールは、山崎が徳島時代に叩き込まれた、味方を生かす視野の広さとハーフスペースを突く戦術眼にアシストされていた。いまもなお徳島へ感謝の思いを抱き続ける27歳のストライカーが、大舞台で恩返しを成就させたことになる。
「今日も含めて、チームがつらいときでも常にたくさんの応援を送っていただいたファンやサポーターには、本当にパワーをもらいました。こうして残留することもできたなかで、来シーズンはもっと上の順位でハラハラ、ドキドキさせられるようなサッカーをしたいので、また力を貸してほしいですね」
年代別の代表を含めて、日の丸を背負った経験は全日本大学選抜しかない。J1リーグの舞台でもまだ48試合、プレー時間も4031分を数えただけの山崎は武器とする高さ、強さ、泥臭さ、そして巧さをさらにパワーアップ。古巣徳島が目の前で流した無念の涙を前へと進む力へと変えながら、湘南ベルマーレとなって初めて3年連続でJ1へ臨む来シーズンも、最前線で身体を張り続ける。
(取材・文:藤江直人)
【了】